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シネマ365日

2013年8月31日

ダメージ (1992年 恋愛映画)

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監督 ルイ・マル
出演 ジェレミー・アイアンズ/ジュリエット・ビノシュ

平安と静けさの場所 

 面食いのルイ・マルが、主人公の男優にはジェレミー・アイアンズで、いっぷう変わった相手役には白塗りの能面みたいなジュリエット・ビノシュを配した。それが決まったという映画でしょうね。常軌を逸した恋人たちとは若いときからルイ・マルの好きなテーマだった。彼がヌーベル・バーグ(この懐かしい響き)と歩調を一にしなかったのは、彼らの理屈っぽさに辟易したこともあるが、映画青年みたいな青臭い映像を内心小馬鹿にしていたのではないか、そんなふうに思ってしまったのがこの映画だ。ルイ・マルのベッドシーンは初期の「恋人たち」なんか、エロティックなうえに(まだやるか)と呆れるほどコテコテの連続で、ほかの監督が犯罪映画や微妙な思春期の映画で話題をつくっているのを尻目に、家が裕福であることをさいわい、自分の嗜好に耽溺できた監督だったと思う。アメリカでの「アトランティック・シティ」や「プリティ・ベビー」の成功をみても、とくに「ダメージ」は晩年に近い作品であるだけにその感が強い▼ジェレミー・アイアンズはやっぱりヨーロッパ人ですねー。ブリュッセルやパリの街角を背景に立たせた姿が、彼ほど似合う役者って少ないですね。国会議員のスティーブン(ジェレミー・アイアンズ)は次期大臣に予定される派閥の重鎮だ。医師であったが政治家の家系である妻の実家から要請され政界入りした変わり種だ。なにごとも波風立てず、しかも彼の思う通りに事を進める静かな支配力が注目されており、しかも「トップにたつのが嫌いな性格」であるため、かえって要職についているという逸材である。スティーブンはパーティーで息子の恋人であるアンナに紹介される。アンナも彼もひと目で足を踏み外す。翌日スティーブンのオフィスに電話がある。「アンナよ」「住所は」それだけで会話は終わる。ルイ・マルの導入はここから「待ったなし」。国際会議も抜け出し、執務も放り出し、スティーブンはアンナのあとを追う。出張先のパリの教会の扉の影でことに及んだときは、さすがに「正気の沙汰ではない」と自問自答するがその舌の根も乾かぬうちにアンナのもとに駆けつけ、さいなむように歓びを交わす。その没入ぶりに「女とこんなことするの、初めてなのね」(かわいそうに)とアンナはいわんばかりだ▼ジュリエット・ビノシュであるが、この人の雰囲気、つまりなにを考えているかわからない不透明感というか、無国籍感というか、本作でもほとんどしゃべらないが、スティーブンがこんな関係はいやだ、妻と離婚するというと冷たくみすえ「そんなことしたらあなたは一生息子を失い、妻との生活も破壊されるわ。毎朝わたしといっしょに朝食を食べ新聞を読むの? 離婚してなにを得る?」「君だよ、君を得るのだ」「もう手にいれているわ。あなたといっしょにいたいから息子と結婚するのよ」ニコリともせずこんなことをいう女って「こりゃ自分の手にあまるわ」とスティーブンは遅ればせとはいえ、この段階で気づくべきでしたね。ともあれ彼女の不透明感はある種の監督に愛され、ミヒャエル・ハネケの「コード・アンノウン」「隠された記憶」、デヴィッド・クローネンバーグの「コズモポリス」。と思うとアカデミー主演女優賞を取った「ショコラ」ではジプシー役のジョニー・デップに求められる「北風とともに町にきた女」などで異彩を放ちました▼父と婚約者の関係を知った息子はショックのあまり転落死する。このシーンの見せ方がまあひどい。そこまでやるか、というくらいルイ・マルは悪趣味一歩手前の洗練という名人芸を放ちます。息子が愛人たちの隠れ家を探し当て、不吉な予感を感じつつ階段をあがるシーンは、ヒッチコックからでさえ「さすがルイ・マル君、なかなかだよ」おほめをいただいたにちがいない。なにもかも失ったスティーブンが(奥さんからは、なぜバレタとき自殺しなかったの、というものすごい言葉を浴びせられる)田舎の片隅でほそぼそと一人住まいしながら、狭いキッチンで(狭いながら整頓されているのが男の性格とひとり暮らしに慣れた年月を現す)食事の支度をしている。彼のモノローグ「人間とは一体何なのか。だれに理解できよう。その謎の糸口に思えるので人は愛にすがる。最後はなにもかも虚しい。彼女はその後一度だけ見たことがある。空港の乗り換えロビーだった。彼女は気づかず男といっしょで子供を抱いていた。ごく普通の女だった」激しい愛欲の内容にもかかわらずこの映画全体に調和と静けさがあります。妻に自殺すればよかったのに、とまでいわれた主人公はでも自殺せず、世の中から消えてひっそりと生きています。ルイ・マルは主人公を生かしたかったのです。スティーブンの部屋にただよう不思議な明るさは「なにもかも虚しい」という到達点を得たルイ・マルの内観が、決して暗いものでなく、だれにでも一条の光がさしこむ場所が人生にはあり、そこに身をおいた平安を示すようです。本作の3年後ルイ・マルは息を引き取ります。63歳でした。

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