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2013年8月15日

命ある限り終わらない戦争 摘出手術後も体内に残る弾片 語り続ける戦争体験

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鈴木知英子さん

 終戦から約40年を経た真冬の午後、首のレントゲン検査を終えた鈴木知英子さん(81歳)に、医師が尋ねました。「頸椎に金属製の異物があります。何か心当たりはありますか」。そのとき、鈴木さんの脳裏に、真夏の悪夢のような出来事がよみがえってきました。
 1945年7月24日朝。当時、旧制高等女学校の2年生だった鈴木さんは、勤労奉仕で柳本飛行場(奈良県天理市)に向かうため、現在のJR王寺駅に停車中の列車に乗っていました。「空襲警報だ!」「列車から降りろ!」。突然の叫び声にあわてて飛び降り、駅のすぐ前にあった自宅に逃げ込もうとした鈴木さんの腰に激痛が走ります。かろうじて屋内に入ったものの、米軍艦載機は何度も飛来しては機銃掃射を繰り返し、首や背中にも傷を負った鈴木さんは、恐怖と痛みで意識を失ってしまいました。
 意識を取り戻したのは、救護所の土間。傍らには、ついさっき「おはよう」のあいさつを交わした女性が二人、すでに事切れて横たわっていました。
 救護所では、腰に留まった銃弾をピンセットで摘出する応急手当のみ。医師は「民間人に使う薬はない」とつれなく、駆けつけた担任の女性教師は、「非国民ね。怪我なんかして。明日からの勤労奉仕はどうするの」と言い放ちました。
 そして迎えた、8月15日。砲火は止みましたが、鈴木さんにとって「戦後という名の長く厳しい戦争」が始まりました。

「戦争を忘れるな」 傷が疼くたびその思い強く

 慢性の頭痛に悩まされ、40歳代の若さですべての歯は抜け落ち、髪は真っ白、目もほとんど見えない状態でしたが、病院の診断は「原因不明」。それが、たまたま別の検査で行ったレントゲン撮影によって、頸椎に残った銃弾の破片による鉛毒であることが分かったのです。
 命すら危ぶまれた摘出手術が無事成功してからは、懸命のリハビリと周囲の支えによって驚異的な回復を果たした鈴木さん。奈良県内を中心に30年間以上にわたり自らの戦争体験を語り続けているほか、2012年には『戦争体験記 私の戦争は終わらない』を自費出版し、東日本大震災の被災者を支援する活動にも取り組んでいます。
 頸椎には手術で取り除くことができなかった破片が残り、今も時おり痛みが襲いますが、「その痛みが『戦争を忘れるな』という疼きのように思える」と話す鈴木さん。「自分の体験や思いを伝えることで、少しでも多くの人が平和や戦争について考えるきっかけになれば」と言う鈴木さんは、著書にこんな一文を寄せています。「頸椎に機銃掃射の弾片が頑固に居座る限り 私の戦争が終わることは生涯ないのです」

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