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特集「銀幕のアーティスト」

2013年9月9日

特集「銀幕のアーティスト2」 敬愛なるベートーヴェン (2006年 事実に基づいた映画)

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監督 アニエスカ・ホランド
出演 ダイアン・クルーガー/エド・ハリス

すべての女性芸術家へ

 とてもいい映画。そう思った理由ベートーヴェンの日常的なディテールが書き込まれ楽聖というとりすましたイメージとはほど遠い、でもまちがいなく天才だという人物がよくわかる劇中の写譜師アンナは、ベートーヴェンに影響を与えた数人をモデルに構成された架空の女性。ベートーヴェンの「フツーと天才の間」を活写するためにホランド監督が作ったのだが、演じたダイアン・クルーガーが秀抜だ。彼女「トロイ」にも出ていましたね。クールな美貌の傾国の美女。「すべて彼女のために」はなにもかも捨てて夫が刑務所に入った妻を奪取する話。ダイアンだからこれじゃ国が傾き、男がすべてを投げ打つのも無理ないと思わせた。そんなこと(とんでもないでしょ)と思ってしまう女優さんだっているからね「第九」の圧巻。合唱の第一声が劇場に響いたときそこにいあわせた人々は、これが地上に初めて出現した「音楽の奇跡」だとわかった。その衝撃がとても素直な感動で伝わってくる。指揮を終えたベートーヴェンが息を整えている。やや沈黙のあと万雷のスタンディング。耳の聞こえないベートーヴェンは気づかない。オーケストラの真ん中、ベートーヴェンから見える位置にいて、彼が指揮できるよう「入りとテンポ」を身振りで指示したアンナは走りよりベートーヴェンを振り向かせる。このシーンに使われたのは、指揮ベルナルド・ハインテク、演奏アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。一流中の一流です。中盤のクライマックスともいえる「第九」のシーンに、ホランド監督は充分な時間をかけ、人類の永遠の遺産を懇切に再現しようとしています▼ベートーヴェンが面白い。美人のアンナが苦手である。わざとお尻をみせ、粗野にふるまい、彼女が作曲家志望だときくと「女が作曲するなんて、犬に二本足歩行させるより難しい」と侮辱的言辞を吐く。いくらからかってもあなどってもアンナは動じない。「君はどうしてそう落ち着き払っているのだ」としまいにベートーヴェンが尋ねる。アンナにはベートーヴェンという男がわかっているのだ。汚らしい乱雑な部屋で仕事を始めると難聴のため騒音をたてわめきちらす。ベートーヴェンが散歩中だときいた隣の部屋の婦人は「おかげでなんて静かなの、至福だわ」と溜息をもらす。アンナは度し難い隣人なのになぜ引越ししないのかと聞く。婦人は答える。「なぜ? ルードヴィッヒ・フォン・ベートーヴェンの隣にいるのよ。だれよりも早く作品を聴けるわ。初演の前に聴けばウィーン中が嫉妬するわ。わたしは7番のときから住んでいるのよ」ベートーヴェンとはそんな男なのだ▼「第九」の成功を受けアンナとベートーヴェンは次作「大フーガ」にかかる。アンナの恋人マルティンが橋を設計しコンペに出展した。アンナはもちろん見に行く。コンペで優勝すれば仕事がもらえるのだ。ベートーヴェンもやってくる。アンナは嬉しそうに迎えるが、それを見た彼氏は疫病神でも来たような不吉な予感がする。案の定ベートーヴェンは「君の建築には魂がない」と酷評したばかりかステッキで模型を叩き壊し「どう感じる。怒りか、憎しみか、悲しみか。私を殺したければ作り直せ」と形相もすさまじく男に詰め寄る。男は「あいつに近づいたら君とは別れる」とアンナに八つ当たり。アンナはおいかけ「あんまりだわ。マルティンは破滅よ」とベートーヴェンをなじる。ベートーヴェンはケロリと「おれは奴の魂を救ったのだ」「わたしが彼を愛しているから救ったの?」「へ。君はあいつなんか愛していないよ、ひとつも」「じゃわたしがあなたを愛していると?」「わたしになりたがっている。あいつが設計した橋をどう思った」アンナはやや黙っていたが「壊して正解よ」なんて言ってしまう▼アニエスカ・ホランドはいうまでもないですが「太陽と月に背いて」の監督です。ランボーとヴェルレーヌという詩人ふたりの詩魂を美しく解体しました。彼女を「女性」監督というのはもはや不要でしょう。「BITTERE ERNTE」でアカデミー外国語映画賞にノミネートされたのは1985年でした。今年64歳です。ダイアンはご存知でしょうが元スーパー・モデルです。理知的な美貌がアンナ役にぴったりです。ホランド監督が描きたかったのは明らかにベートーヴェンではなく架空のアンナという女性です。ベートーヴェンが写譜師として派遣されたアンナに「なんだ、女か」と失望しますがアンナは「学校でいちばん優秀な学生だから派遣されたのです」と言い返します。ベートーヴェンの音楽家としての天才と、男としての魅力と面白さを理解し、第九「合唱」という奇跡をもたらしたのが、ときの権力者でもなく、長年の友人でもなく、血縁者でもなくアンナだった、つまり女だったという視点に監督の一本背負いを感じませんか。ホランド監督がアンナを現代によみがえらせたのは、どんなに才能があっても、能力があっても、女というだけで歴史の表舞台に登場できなかったすべての女性芸術家へのオマージュでした。 

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