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特集「銀幕のアーティスト」

2013年9月14日

特集「銀幕のアーティスト2」 ブロンテ姉妹 (1978年 事実に基づいた映画)

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監督 アンドレ・テシネ
出演 マリ=フランス・ピジェ/イザベル・アジャーニ/イザベル・ユペール

愛を映すテシネ

 そうか「嵐が丘」はここで生まれたのだな。アンドレ・テシネ監督は例によって言葉を極力排し、季節感や風景や建物や、あるいは居住する家の内部や家具、寝室のシーツの手触りにいたるまで、映像に語らせようとする。洗いざらした、でも清潔な姉妹の衣服、きちんとときつけた髪、木のテーブルに本を広げ、エミリ(イザベル・アジャーニ)とアン(イザベル・ユペール)が合作した物語や詩を、ランプの灯りのもとで読む。仲のいい姉妹であることがわかる。長女のシャーロット(マリ=フランス=ピジェ)は家事に、詩作に励んでいる。シャーロットは高名な批評家に詩を送った。返事が来てどうだったと聞きたがるエミリに「褒めてはくれているけど」シャーロットの声には失望が滲んでいる。手紙にはこうある。「あなたの才能は認めますが文学は女性の仕事ではないのです。女性の本務にうちこむならば書く時間などないはず。たとえ趣味でも、です」。聞いているだけでむかつく▼姉妹にとって幸いしたのは、作家志望だった父が娘たちの創作熱を邪魔しなかったことだろう。父親の期待と寵愛は早熟な一人息子、シャーロットの弟でありエミリとアンの兄ブランウェルに注がれていた。シャーロットはヨークシャーの片田舎ではなにもできないとエミリとブリュッセルの寄宿学校に留学するが、同居していた母親の姉エリザベス叔母の死にともない帰国した。シャーロットとは逆にエミリはヨークシャーの荒野が好きだった。動きやすいシャツにズボンで歩きまわり、花よりもヒイラギを愛した。内向的なエミリは家族以外の人間と親しくなれず、いつも本を読み、空想し、詩と文章を書いた。アンはエミリと一つ違いだ。ブロンテ家の家族構成と彼女らの没年をみてみよう。母マリア。6人の子をなし長女と次女は11歳と10歳で結核のため死去。母親も末っ子アンを産んだあと38歳で没。シャーロットが5歳、エミリは3歳で母親と死別した。母代わりに姉妹を育てたのがエリザベス叔母だ。父親を除いてブロンテ一家は早逝する。姉弟のうちまずブランウェルが過度の飲酒とアヘンでボロボロになり1848年31歳で衰弱死。兄の葬儀に参列したときの風邪がもとでエミリの結核が悪化、同年30歳で没。翌年アンが結核により29歳で没、シャーロットはただ一人姉妹のなかでは生存中に作家として名をなし結婚したが、38歳のとき妊娠中毒症により執筆中の「エマ」未完のまま没した▼ブロンテ家の姉妹とは、女が作家になることが認められない時代にものを書き、男性名のペンネームを使うなどあらゆる方法を試みて出版し、世界文学史に残る名作を残し、若くして死んだ姉妹たちのことだ。末っ子のアンは海をみたことがなかった。シャーロットに連れられ断崖の上から海をみて「ここで暮らしたい」と言う。エミリは死ぬまでヨークシャーの荒野を愛した。息をひきとろうとするエミリのためにシャーロットは吹きすさぶ冬の原野に出て、凍てついた土の下からヒースを掘り出してくる。「あの子には荒野の何かが必要なのです」と言って。荒野とはまさにエミリの分身だった。ブランウェルが描き残した肖像画では、姉妹はみな理知的だ。くっきり見開かれた目、鼻筋の通った細い鼻稜、三人のうち唯一写真が残っているシャーロットは、意志の強そうな横顔に、落ち着いたふくよかさをたたえている▼エミリは無骨な木のテーブルに座りアンとしゃべりながら、家事や刺繍の合間に「嵐が丘」を書いたのだろう。家族が肩寄せ合ってすごすブロンテ家で一人になれる時間はそうなかったし家事は多かった。エミリは内省的で病弱だったせいもあるが、故郷からも家族からも離れようとはしなかった。「嵐が丘」とはエミリの愛した荒地以外の場所で絶対に生まれる小説ではなかったのである。シャーロットは言った「わたしたちには才能がある。たいしたことではなくともなにかで成功したいのです」今でこそ控えめに聞こえるが、当時の女性としては稀有な思考だった。エミリもまた黙々と書き継いだ。「嵐が丘」の製作期間はざっと1年と思われる。アンも若くして経済的な自立を目指す聡明な女性だった。彼女らはそれぞれ小説を書いたが、それは女であるというだけでだれも能力を認めようとしなかった時代に、誕生を求める胎児のように産み落とされた小説だった▼テシネ監督は彼女らの愛を映す。強くやさしい、しっかり者のシャーロットを、素直で誠実なアンを、精神の荒野をひとり歩くエミリを映す。ヨークシャーの痩せた土地で過酷な労働を終え、疲れきって一日の終りに「黒牛亭」に来て酒を飲み、しゃべりちらして夢を封じた貧しい男たちを映す。厳しい冬があけ春となり原野を流れる小川に氷の塊が溶け、野バラ咲くヨークシャーを映す。これらのすべてがブロンテ姉妹の世界だったことを監督は映した。本作はテシネの初期の映画だ。しかし「バロッコ」から3年の沈黙を経て公開された本作には、テシネの作家としての思い「過酷な現実を生きる一途な愛」というそれがあふれ、以後の彼の映画作法を決定している。

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