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シネマ365日

2013年10月5日

危険なメソッド (2011年 事実に基づく映画)

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監督 デヴィッド・クローネンバーグ
出演 キーラ・ナイトレイ/ヴィゴ・モーテンセン/マイケル・ファスペンダー

医学史にさす一瞬の光 

 精神分析の創始者フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)とその後継者とみなされたユング(マイケル・ファスペンダー)、二人にかかわる女性ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)、もうひとり、将来を有望視されながらクスリと女に溺れ人生を棒に振る精神科医グロス(ヴァンサン・カッセル)。主な登場人物はこの四人だ。ザビーナという女性は1970年代まで存在を知られていなかったが、研究が進むにつれその重要性が明らかになった。ヒステリーなど精神疾患に用いる談話療法はフロイトが提唱したもののまだ実践段階ではなかった。初めて患者に応用したのがユングでありその患者が当時18歳のザビーナだった。映画は発作を起こしたザビーナがチューリッヒの病院に馬車で連れて来られユングが治療にあたるところから始まる。恐ろしい様相で抵抗しながらかつぎこまれたザビーナは、ユングの談話療法を受けながら回復に向かう▼ユングとフロイトの出会いはウィーンの「ベルクガッセ19」つまりフロイトの家(現存し博物館となっている)をユング夫妻が初めて訪問したときだ。13時間にわたって忌憚なく淫らな夢や性衝動、欲求不満や妄想について論じ合い意気投合する。帰路ユングは妻に不安を打ちあける。精神分析という新しい医学のカリスマ・リーダーであるフロイトの個性が強烈で、自分の考えがかき消されるようなプレッシャーを感じるのだ。ユングはフロイトを父とも呼んで尊敬するのだが、フロイトの弟子に甘んじないためには別の理論を築くしかない。ユングの自宅を訪問したフロイトは呆然とする。彼は財閥の娘を妻に、何不自由なく研究にうちこみ自分の理論を実践できた。古い狭い自分のアパートと比べ、広大な敷地に屋敷、最新設備を導入した大病院に勤務し、休日はヨット。大家族をかかえ必死で稼がねばならぬフロイトとの違い。精神分析とはなにをする学問でありなにを治療する医学か、緒についたばかりだった。第一次世界大戦を前に社会的統制が厳しくなっていく時代に、無意識という混沌と無秩序の暗黒大陸を医学の俎上にのせたフロイトの思想は危険視された。フロイトはユングが必要だった。精神分析医のグループはほとんどがユダヤ人で、二級市民と差別されるユダヤ人だけでなく、れっきとしたドイツ人のユングが入っていることでユダヤ色は薄められたのだ▼しかしどうにもならない学問上の個性の違いが明らかになっていく。ユングの研究が神秘や心霊的、宗教的な傾向を強めていくのに対し、フロイトは科学の枠に固執しユングの主張を受け入れなかった。なんとなればそもそも精神分析医と患者の関係は個人的なもので、研究内容を実験やデータで再現するのは容易ではない。再現性の困難がたださえ精神分析を科学から遠ざけているのに、さらに宗教や神秘性をもちこむことは、自分が創始した精神分析という学問の将来を閉ざすこととフロイトは危惧したのだ▼彼らの情熱が精神という抽象この上ない分野に、新しい地平を切り開いたことは驚くべき偉業だと今ならわかる。しかしこの映画で見る限りフロイトもユングも幻想を追う未熟な人間であり迷いとエゴと嫉妬のかたまりだった。フロイトはユングの恵まれた経済生活にしらけ、ユングときたらグロスにたきつけられ、ザビーナと肉体関係をもち一夫多妻制に賛同し、40年にわたって愛人の存在を妻に認めさせた。家族思いのフロイトとはえらい違いだった。ユングが80歳をすぎて自分の妻の妹とフロイトが不倫の関係にあったとばらした真意は図りかねる▼ザビーナはユングの子供を産みたいとまで彼を愛していたが、妻を恐れるユングはザビーナに別れ話をもちだし、ユングのもとを離れた彼女はフロイト門下に入った。ユングにとってはフロイトと彼女の肉体的なセックス以上に嫉妬を煽られただろう。ザビーナはフロイトとユングが相反することは精神医学界の大きな損失だとして仲を修復しようとする。つらいヒステリーの発作を治療できたことで自らも精神科医となる。彼女は第二次世界大戦で収容所に送られ娘とともに惨殺された。この女性にスクリーンで息を吹き返させたのはなんといってもキーラ・ナイトレイの熱演だろう。フロイトにせよユングにせよ、業績の偉大さは間違いないが、所詮男の側からみた分析にすぎない。女性のための精神と肉体の分析は長くフロイトやユングの影響から脱しきれなかった。それでなくても男の発想による一方的な治療法は、ヒステリー患者を犯罪者扱いする時代だった。ザビーナからみたユングは優柔不断で妻の尻に敷かれ、一生ぬるま湯から出てこない男だった。男ふたりが生き残りをかけて火花を散らす一方で、一瞬だったが精神分析の分野に足跡を残したザビーナにもっと多くの光が当たればいいのに▼生彩を放つ映画言語のいくつかについてもいいたい。ベルクガッセの自宅のゆるやかな階段にフロイトが姿を現したときの風格、ザビーナに書くフロイトの手紙の筆跡(ヴィゴが自分で美しいドイツ語の旧書体を書いている)、フロイトの書斎の、娘たちがパパのために別注した革張りの椅子(レプリカだがあまりよくできていたのでクローネンバーグが自宅に引き取った)、アメリカから招聘を受けて渡航する船上「じゃ、ぼくはこっちへ」とファーストクラスの通路をとるユングを(…)と声もなく見るフロイト。フロイトの家での夕食の席、ユングが皿に山盛り取る肉の塊は、ストレスの「ス」もないユングの食欲を思わせて余りある。心霊の存在を強く受け、肉体を調節した解釈があると主張したユング。性と肉体に固執しありのままの自分を受け入れ現実に対処することに治療法を見出したフロイト。ふたりが精神医学の治療に貢献した実績ははかりしれないものの、その後の精神分析の過程は興味深い。彼らの学説なるものは果たして現実に即したものだったか。どんな分析も刃が立たない絶望や悲しみはあるものだ。そんなとき嘘でもいい甘い慰めや温かい腕や胸が見失ったものに気づかせることがある。フロイトもたぶんそれを知っていたのだろう。少なくともこう言っている「心の拠り所や解決法は幻想にすぎない」実際ははかなくてこわれやすく、とりとめがなく混沌とした完全な不完全。分析という科学が進めば進むほど刻々姿を現してくる暗黒大陸こそ人の心の有り様だったにちがいない。

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