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2013年10月5日

東京五輪 水泳に賭けた青春 ~前編~

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1964年 東京五輪 水泳日本代表
丸谷(旧姓・菊谷)多鶴子さん

 2020年夏季五輪の開催地は東京。9月8日早朝、丸谷(旧姓・菊谷)多鶴子さんはその一報を、特別な感慨をもって受け止めていました。
 1964(昭和39)年に東京で開かれたオリンピックに、当時高校三年生だった丸谷さんは、水泳の日本代表として参加。12歳で親元を離れ、猛練習の末につかんだ栄冠でしたが、そこに至るまでには幾多の試練を乗り越えねばなりませんでした。
 清流・吉野川が流れる奈良県吉野郡川上村に生まれ育った丸谷さんは、幼いころから水泳が大好き。剣道四段の父・義一さんをはじめ家族全員がスポーツに親しんでいたこともあり、豊かな自然のなかで伸び伸びと少女時代を過ごしました。
 中学1年生のとき、郡・県大会の自由形で初優勝し、近畿大会でも僅差で2位に入賞。当時、郡内で唯一プールがあった下市中学校に単身で転校後、本格的な競技者としての生活が始まりました。
 1961(昭和36)年、中学3年で出場した第1回全国中学校選抜水泳大会の近畿予選100mで1分10秒0の日本中学新記録を樹立。全国大会では100m自由形で優勝するなど、一気にトップスイマーとしての素質が開花しました。

窮地を救った恩師の教え

 高校進学を控えた丸谷さんの前にある日、水泳界きっての“名将”が現れます。過去、何度も全国制覇を成し遂げ、多くの五輪選手を育て上げた奈良県立五條高校の浦井保弘監督。「菊谷くんをぜひ五條高校に。責任をもってオリンピックに出場させますから」。畳に額をつけ、そう申し出る浦井監督の姿に、丸谷さんは即座に「この人についていこう」と決めました。
 強く請われて入学した五條高校でしたが、その練習は聞きしに勝る苛烈さ。高1の200m自由形で日本高校新記録を数次にわたり更新し、高2の全日本選手権100m自由形で優勝と輝かしい戦績を重ねる一方、プレッシャーからかスランプに陥ったり、クラブの厳しい上下関係に悩み、脳裏に「死」の文字がよぎるなど、多感な年齢の丸谷さんとってつらい出来事も少なくありませんでした。
 そして迎えたオリンピックイヤー。年頭、大分県別府市で日本水泳連盟の強化合宿に参加したものの、いくら練習しても記録が伸びず、「水の中で泣く日々」(丸谷さん)。思い余って母校の浦井監督に手紙で相談したところ、監督からの返信にはこんな言葉が記されていました。
 「小生が君を五條高校に入学させ、オリンピックに出場させる道を選んだのだから、その責任は取る。しかし残念なことに君にはファイトがなさすぎる。お嬢さん気分では駄目だ。自分が日本では一番強いのだと自信を持つことだ。(中略) 人事を尽くして天命を待て」
 食い入るように手紙を見つめる丸谷さん。恩師の言葉に奮起し、五輪選考会前の7月には未公認ながら1分3秒7の日本記録をマークするまでに復調しました。
 満を持して臨んだ選考会本番。ところが丸谷さんにとって、思いもよらない結果が待ち受けていました。

この記事の続き(10月8日公開)
東京五輪 水泳に賭けた青春 ~後編~

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