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特集「ディーバ(大女優)」

2013年10月20日

特集ディーバ(大女優) グレン・クローズ いつか眠りにつく前に (2007年 文芸映画)

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監督 ラホス・コルタイ
出演 ヴァネッサ・レッドグレーヴ/メリル・ストリープ/グレン・クローズ/パトリック・ウィルソン

人生に過ちなんてない… 

 この映画をグレン・クローズのシリーズに入れるのはおかしいかもしれません。やはりヴァネッサ・レッドグレーヴであり、メリル・ストリープであり、若手のクレア・デインズであり、トニ・コレットの映画だと思うのです。圧倒的な女優陣に比べ影の薄い男優陣でも「プロメテウス」のパトリック・ウィルソンとか「エリザベス1世愛と陰謀の王宮」のヒュー・ダンシーとか、少なくともグレン・クローズより中心人物を演じる役者がたくさんいます。それをなんで、といわれると、うーん。じつはこれラホス・コルタイの監督初作品ですね。彼はそれまで撮影監督として「ぼくの美しい人だから」「海の上のピアニスト」「アドルフの画集」「理由」などを撮っています。みないい映画です。そんな彼に初監督の白羽の矢が立った。脚本を読んでまず考えるのはキャスティングでしょう。若き日のアニー役クレア・デインズが決まった。つぎに決まったのはヴァネッサだった。メリル・ストリープもオファに応じた。しかしコルタイ監督が自分で交渉に乗り出したのがグレン・クローズだった。一箇所だけとても難しいシーンがあり、それをほかの役者でやらせるのに不安があったからだ。全編を通じて10分あるかないかの出演にグレン・クローズは応じ、地方の上流階級の世間体を気にするありふれた夫人を演じている。そんな彼女が息子の死をきいてそれまでのとりすました表情から一変、地獄に突き落とされた母親の衝撃をみせる。このシーンからヒロインの運命が変わっていく。コルタイにとって初監督に満を持すために、グレン・クローズはどうしてもほしい女優だったのだ▼この俳優陣ではそりゃ見応えありますよ。母が死ぬ間際に繰り返す「ハリス」という男の名。娘たちはそれがだれか知らない。死の床の母親の脳裏には走馬灯のように青春の出会いが浮かんでは消え、消えては浮かぶ。アン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)が重篤ときいて長い間会っていなかったライラ(メリル・ストリープ)がかけつける。ライラの結婚式の介添え役としてアンが招かれたのが物語の発端だ。ヴァネッサとストリープといえば古狸と大狸みたいなものですからね、ふたりがかわす台詞と演技はこんな感じです。よかったですよ、このシーン。力衰えベッドに横たわるアンのかたわらにライラはやさしくよりそう。アン「しあわせだった?」ライラ「たまには」…(あのー。ここで吹き出してしまったのは不謹慎だったでしょうか。大狸にふさわしい人生の現実がにじむ台詞だと思ったものですから)続けてライラ「ときには不幸だったわ」アン「それでいいの?」ライラ「わたしはあなたほど望まなかったから」アン「わたしは多くのことを望んだわ」ライラ「そして多くを手に入れた」アン「(じろり。ヴァネッサの目は特に大きい)結婚に二度やぶれろくな歌手になれなかったわ」ライラ「わたしの結婚式で歌ってくれたわ。すばらしい歌だった。あなたはみんなの前に立ち勇敢で力強く、希望にあふれていた」アン「わたしたちのどちらかがハリスと結婚すべきだった」ライラ「わたしたちはそれぞれすべきことをしたのよ」▼ヴァネッサの演技だから荘重になって説得力あるのだけど、でもさ、死ぬ前になって男ひとり、それも結婚して子供がいて安定した家庭をもって、もはや自分と人生が交錯することはない男のことを、ここまで考えるものなのでしょうか。しかしまあ、とにかく彼女は星をみてロマンティックな話をする男に惚れちゃったのだ。ハリス、ハリスっていうけどいったいどこがいいのか最後までわからんかった。それに比べ好きでもない男だけど、周囲の期待に波風たてたくないからちゃんと結婚し、子供つくって「たまにしあわせ。ときどき不幸」の現実派ライラは「どちらかがハリスと結婚すべきだった」なんてアンが言っても、アンが元気なときだったらどんな返事をしたでしょうね。「眠りにつく前に」とは「死に就く前に」ですね。アンが娘にいう「人生に過ちなんてない」はおそらくコルタイ監督のメッセージでしょう。でもこのソフトな言い方は母親の娘に対する思いやり以外のなにものでもないな。過ちがあろうとなかろうと「それで終わり」ビシャッとぶった切られるのが人生だからね。だから「なすべきときになすべきことをしよう、わたしたちはそれをしたのだからいいじゃないの」とライラはいいたかったのですね。幼い娘たちがむずかり、アンは相変わらず場末の歌手をやっている。自分も時間がなくて焦っていて、料理が焦げ付きそうで手がはなせない。旦那に「ちょっとお願い」と頼むと仕事だといって出て行ってしまう。娘たちはますますダダをこねる。アンはどうしたか。怒らずふたりにむかってゆっくり歌い始める。イライラしていた娘たちは母親のきれいなおちついた声に安心し、愛情を信じ笑顔をとりもどす(鍋は焦げたけど)。アンはろくな歌手になれなかったというが、なすべきことをなすべきときになしたじゃないですか。聴衆がたったふたりでも。この場面ジーンとさせましたよ。

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