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映画監督特集

2013年10月26日

特集 フランス映画の女性監督2 ディアーヌ・キュリス 年下のひと(1999年 事実に基づく映画)

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監督 ディアーヌ・キュリス
出演 ジュリエット・ビノシュ/ブノワ・マジメル

不完全な男と女 

 ジョルジュ・サンドは1804年から1876年、つまり江戸時代の文化元年から明治9年の人だ。フランスは7月革命で旧体制と新秩序が対立していた時代。女子教育というものはなく文字が読めるのは限られた貴族や牧師とか僧侶とかいった人種。冒頭に登場するサンドは子持ちのバツイチだ。女は結婚しないと食べていけなかった時代に夫である男爵と離婚し子供二人を連れて家をでた。もともと彼女は貴族の家の出で、父親が早くに亡くなったのでノアンにある父方の祖母の家で少女時代を過ごした。ここでの経験が「魔の沼」「愛の妖精」など田園小説のモチーフとなった。タイトルにある「年下のひと」とは詩人アルフレッド・ミュッセのこと。サンドをジュリエット・ビノシュ、ミュッセを演じるのがブノワ・マジメルだ▼ふたりがであったときサンドが29歳、ミュッセが23 歳だった。いまなら親にパラサイトしていても不思議ではない世代だ。サンドは「女だと何を言ってもだれも相手にしない」と男性名をペンネームにし、男装して社交界に出た。才能を云々カンヌン言うまえにいい度胸ではないですか。彼女はその時代唯一のプロの女性作家だった。村田京子さんは「女がペンを執る時~ 19世紀フランス・女性職業作家の誕生」で女性の著作活動が文学や社会に与えた影響を作家の生涯と仕事を通じて検証しておられる。19世紀を代表するジョルジュ・サンドは約90編の小説、戯曲、旅行記などを出版し、その印税で家族を養ったのだ。サンドの恋愛遍歴でもっとも知られたのはショパンとの10年に及ぶ生活だろう。愛の逃避行といわれたマジョルカ島行きのあと1847年までノアンで同棲した。サンドが34歳から43歳のときが「ショパン時代」だ。監督はなぜ世上最も有名とされるショパンとの恋愛でなく、ミュッセとの時代を選んだのだろう。ショパンだってサンドと出会ったときは26歳。「年下のひと」だったのである。思うにミュッセとの関係でサンドは作家として大きく弾けたのではないか。サンドはミュッセとショパンの関係がおわったあと、ほとんどノアンに隠棲し体得したものを放射するみたいに執筆に没頭した。彼女の周辺にはフロベール、リスト、ドラクロワ、綺羅星のようなアートの巨人たちが集まる。カール・マルクスまでいる。彼女との会話は面白く機知にとみゲストへの配慮も充分な、談論風発する居心地のいいサロンだったのだろう▼ミュッセは家族の大反対もものかわ、サンドとベニスに出奔し、到着早々サンドが水にあたって寝込むと「ぼくは病人の世話は苦手だ」といってさっさと遊蕩にくりだす。放り出されたサンドは治療にあたった医師とできちゃうのです。ミュッセは天才肌の作家だと思うが才能を蕩尽したとしかいいようがない。「男はみなうそつきで無節操で、不誠実で、軽薄で偽善者で、高慢、狡猾、卑劣で淫らだ。女はみな不実でずる賢く、見栄っ張りで詮索好き、この世は底なしの下水で汚泥の上を醜いバケモノが這い回る。だがこの世でもっとも尊いのは不完全な男と女の結びつきだ」と言う。これが23歳の青年の言葉かと思うと、サンドでなくとも才能の鮮やかさに目をみはるでしょうね。彼にはサンドを陶然とさせるものがあったのです。でなければ離婚して地位も金もあっても凡庸な男はこりごりと思っていたサンドがのめりこみはしないでしょう。そういうきらびやかな色彩の男をブノワ・マジメルが好演しています▼ノアンにはサンドが死ぬまで過ごした「サンドの館」が記念館としてあります。映画のなかでもサンドはじつによく仕事をしています。ノアンでも彼女は落ち着いた家具調度品に囲まれ、充実した執筆の時間を送りました。緑に囲まれた田園は喧騒から作家を守り、サンドは土地の人々にやさしく、ノアンの貴婦人として尊敬を受けました。サンドの代表作はこの館で生まれます。ミュッセはサンドと別れたあといろんな女性と実りのない恋愛をくりかえし、才能が枯渇し不摂生がたたって47歳の若さで亡くなった。彼の創作の源泉はサンドだったのかもしれない。ジュリエット・ビノシュのなにを考えているかわからない顔が、かえってひどく雄弁です。

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