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2013年10月8日

東京五輪 水泳に賭けた青春 ~後編~

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1964年 東京五輪 水泳日本代表
丸谷(旧姓・菊谷)多鶴子さん

 さまざまな試練を乗り越え、万全を期して臨んだ東京五輪選考会。しかし、「命を賭けた」(丸谷さん)大レースで不覚にもスタートで遅れをとり、結果は惨敗に終わりました。
 1次選考の結果、五輪出場は保留。目標を失った衝撃は凄まじく、丸谷さんは「選考会後の一週間はまったく記憶がない」ほど自暴自棄に陥りました。「水泳はもうたくさん。高校最後のインターハイも知らない!」
 実家に身を寄せ傷心の日々を送る丸谷さんにとある深夜、日本水泳連盟の高石勝男会長から電話が入ります。「もう一度、泳ぎを見せてほしい」。思いもよらなかったその言葉が、消えかかっていた闘志に火を点けました。
 8月に群馬県前橋市で行われたインターハイで、100m、200mの自由形、400mリレー、同メドレーリレー、高校総合のパーフェクト優勝を果たし、個人種目でも大会新で歴代2位の好記録をマーク。主将として五條高校を全国制覇にけん引したことも高く評価され、一度はあきらめかけた五輪出場の夢が再び現実味を帯びてきました。

夢をつかんで得た信念 「絶対にあきらめない」

 1964(昭和39)年9月1日、待ちに待った「五輪代表決定」の吉報が舞い込みました。当時の心境を丸谷さんは、「周囲の期待にやっと応えられたという安心感と、感謝の気持ちでいっぱいだった」と振り返ります。
 五輪で出場した400m自由形の予選の結果は、5位。決勝進出はならず「出場する以上、やはりメダルをとらなければ意味がない」と今も悔しさをにじませる丸谷さんですが、青春のすべてを賭けた6年間を通じて大切なことを学んだといいます。「それは、絶対にあきらめないこと」
 絶望の淵に立ったときにも温かく見守り、救いの手を差し伸べてくれた監督・両親をはじめとする周囲の人たち。「感謝を常に忘れず、決してあきらめなければ、道は必ず拓ける」。丸谷さんの言葉には、7年後の夢舞台を目指す後進たちへの熱いメッセージが込められています。

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