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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年11月11日

特集 LGBT-映画にみるゲイ オルランド(下)(1992年 ゲイ映画)

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監督 サリー・ポッター
出演 ティルダ・スウィントン

ウルフが幸せだったとき

 ヴァージニア・ウルフとヴィタ・サックヴィル=ウェストの情事を、クウェンティ・ベルは1925年から1929年と推測しています。ヴィタとの出会いがあった翌年1923年に書き始められた「ダロウェイ夫人」をスタートに、ウルフの作家活動は黄金期を迎えたといってもいい。「オルランド」「燈台へ」「一般読書人」「私だけの部屋」。ウルフの最高傑作は「波」といわれるが、鋭く洗練されているものの、どこか集中力が途切れている「波」に比べ、投入された感情の濃さや完成度の高さでは圧倒的に「燈台へ」でしょう。ウルフの生涯にみられるレスビアニズム、とくに年長の女性への甘えと子供っぽさを解く鍵を、神谷美恵子氏は「ひとつは彼女の性的未熟さ、もうひとつは一生のあいだ母性的なものを持つ人を求め続け、甘えずにはいられなかった」としています▼ウルフはヴィタという最愛の梃子を得て「オルランド」に没頭しました。日記に当時の高揚がはっきり書かれています「オルランドはなんとあきれるばかりわたしの意志と無関係であり、しかもそれ自体の権利で力強いものなのだろう。まるで生まれ出るために、なにもかも無理に横へ押しやって出てきたかのようだ(略)。そう繰り返し言おう。たいへん幸福な、ふしぎに幸福な秋である」天馬空を翔けるごとく書けるときの作家の喜びがあふれています。「オルランド」には女であるがゆえに抑圧されている女性のうっぷんが溢れかえっています。ウルフは父親の著作が並んだケンブリッジ大学図書館で閲覧を申し込んだとき、女性だから入館できないというバカバカしさを茶化し、時代の差別を痛烈に批判しました。女が人間として劣っているという扱いはだれが決めたのか。ウルフは「オルランド」において彼女の著作中、フェミニストとしての視点から最も野心的な歴史の読み替えを行いました。現実の社会で書くことを許されず、沈黙を強いられてきた女性はうちに秘めている怒りの感情を荒々しい行動や、狂気の振る舞いとして表現しようとした…サンドラ・ギルバートとスーザン・グーバーの共著「屋根裏の狂女」は19世紀、初めて物を書き始めた時代の女性をアウトサイダーとして明確に位置づけ、表現の沈黙と才能の抑圧に女性作家の病気がかかわっていることを指摘しています。事実ウルフは強度の頭痛持ちで、その症状は狂気の前駆症状でした。知性の実を食べ精神的に自立しようとしたイヴ(女性)は、男にとって支配の障壁であり、知力のある女はサタンと罪の分身、つまり邪悪の存在として社会から排除されてきた。同著は女の欲望の昏さ、その根源にあるどうしようもない文化と制度のなりたちを、圧巻なまでに暴いています▼「オルランド」ではこういうシーンがあります。昏睡から覚めたオルランドは女になっていた。女の体を鏡に映し「前と同じ人間だ。なにもかわらない。性がかわっただけだ」とオルランドはつぶやく。社交界にデビューしたオルランドに男たちが言う。「女にあるのは気取りだけです。体だけ大人の子供だ。だがロマンティックな美しい動物だ。ダイヤや宝石で飾り立てたい。だがうちのワイフはギリシャ語を学ぶと言い出し、朝食を共にするのも苦痛だ。品格を持っている女がどこにいる」。オルランドが質問する。「詩神(ミューズ=女神)に仕える詩人の方々が自分の奥様や女性に愛情や敬意を感じておられないなんて」「会話は思考をもてあそぶ場です。思考は孤独を好む。自分というものを父親や夫の力で知る女性に思考することは無理だ」「両方いなければ?」「その場合はいかに魅力ある女性でも迷える子羊です」▼むかつくオルランドに、女性だから屋敷と財産は相続できない、相続するには男児を産まねばならないという裁判所の通告が来る。オルランドはそこで偶然出会った青年にいきなり「結婚して」と申し込む。この青年は南西の風が吹いたらアメリカに出航する船に乗る。ベッドを共にしたところ「ぼくが女なら子供を育てて自分を犠牲にするのはごめんだ。孫の世話もね。女らしさをおしつけられて自分を失うのもごめんだ。ぼくは未来のために戦うよ」「その未来っていつ始まるの? 今日? それともいつも明日なの?」「痛いところ突くなあ」「わたしは結局この世紀の精神に負けたのよ」「いっしょにアメリカに行こうよ」オルランドは黙って笑う。「ほら、風よ」「?」「南西の風よ」青年は破顔し馬にとびのり「じゃ」オルランドは青年を見送る。ラスト。100年後の現代。オルランドは娘を産んで自分が去った屋敷に観光客として訪れた。歴代当主の肖像画が壁にかかっている。ナレーションはこう語る。「オルランドは相変わらず恵まれていた。スラリと背は高く現代の女性が憧れる両性具有的魅力を持っていた。そして育ちのよさ。400年も生きて一日たりとも老いていなかった。ここは英国だからみな気づかぬふりをしているが。だが変化もあった。彼女は過去から解放され過去を棄て新しい人生を歩み始めた。ついに過去から切り離され、手招く未来からも解放され突き抜けて」。オルランドはひとり樹の下で憩う。「私はもう男でもなく女でもない。顔は人間で一人に溶け合った。この地球にいて同時に宇宙にも存在する。この世に生まれ、同時に死を迎えている」。ここにきて監督は明らかにオルランドを、ウルフが当初モデルにしたヴィタからウルフの自画像に変化させています。オルランドが「この時代に負けた」と言わせたことに、監督が理解したウルフの激しい痛みを感じます。制度と文化の痛みのなかでオルランドは生き延びた、オルランドとは、性においても表現においても社会においても、女性が自由を求める自我として生きることができる、そんな時代がくることを願いながら生きて書いたウルフの魂の飛翔です。意識の流れとか難解とかいわれるウルフの作品のなかで「オルランド」はウルフが自らのセクシュアリティを告白している異色の作品です。精神的な脅迫観念だけでなく、肉体的にも激痛を伴う彼女の病歴にあって「オルランド」の執筆は「たいへん幸福な、ふしぎに幸福な秋」でした。それはごく短い季節でしたが、ウルフの過酷な狂気との闘いだった生涯を思うとき「オルランド」がもたらしていた「不思議なほど幸福」な時間に、よかったね、どこかほっとしたものを覚えます。

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