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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年11月15日

特集 LGBT-映画にみるゲイ オール・アバウト・マイ・マザー(1999年 ゲイ映画)

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監督 ペドロ・アルモドバル
出演 セシリア・ロス/マリサ・パレデス/ペネロペ・クルス/アントニオ・サン・ファン

美しい人たち 

 ゲイの映画ならこの監督の作品を絶対にいれたい、と思わずにいられないのがペドロ・アルモドバル。彼の代表作は数々あるのに何で「オール・アバウト・マイ・マザー」か、それにこれは「シネマ365日」に既出じゃないか…それはそうなのですが、アルモドバルの記念碑的作品であることと、やっぱりいつ見てもいいからです。本作と「ボルベール 帰郷」は彼の双璧だと思うね▼じゃどこがいいのか。万華鏡のようにきらきらして、別々のものに見えた愛の形が、現実の波をくぐって、別の生き物みたいになったやさしさに収束していくところかな。本作の登場人物たちはこれでもかとばかり、焼きごてを刻印されながら生きていく。とてもキャラクタリスティックに。マヌエラ(セシリア・ロス)は息子エステバンを17歳の誕生日に交通事故で失う。息子の父は性転換していまは女になっている。息子の死を知らせようとマヌエラはバルセロナに行く。息子が事故にあったのは舞台の大女優ウマ・ロッホ(マリサ・パレデス)のサインをもらおうとタクシーのあとをおいかけたからだ。バルセロナの劇場ではウマが「欲望という名の電車」に主演していた。息子といっしょにみた舞台だった▼ウマはレスビアンの恋人で麻薬中毒である若手女優ニナがしょっちゅう舞台に穴をあけるので手をやいている。懐かしくなって楽屋を訪問したマヌエラはニナが行方不明になって困惑するウマを助けてやる。それが縁でマヌエラはウマの付き人となり、ピンチのときにニナの代役もこなした(何度も同じ舞台をみてセリフは暗唱していた)。バルセロナでマヌエラは元夫ロラの友達で、ロラに現金を持ち逃げされたアグラード(アントニオ・サン・ファン)に会う。アグラードは明るいオカマでマヌエラの無二の親友だ。マヌエラはオカマ救済のボランティアの尼僧のひとりシスター・ロサ(ペネロペ・クルス)がロラの子を妊娠していることを知り、しかもエイズに感染していた。ロサの母親は贋作画家だ(バルセロナには贋作専門の美術校があり、ちゃんとした規定のもとに贋作が売買される)。娘とは「子供のときから他人のようにしか思えない」関係に悩んでいた。頼る者もなく不治の病をかかえて子供を産もうとするロサを放っておけず、マヌエラはロサを同居させウマの付き人もやめて、前置胎盤で安静を命じられたロサの面倒を見る。ロサは「子供の名前はエステバンよ。あなたとわたしの子供よ」「この世の中にあなたとわたしと坊やだけね。でもあなたには家族がいるわ」マヌエルはロサの母親を呼び、事情を話し自分がこの部屋で出産までロサをケアするといって安心させる。ウマとマヌエラとロサとアグラードはすっかり友だち同士になった。女四人(?)がマヌエラの部屋に集まり、ワインをあけて陽気に喋る。神様より、仲のいい女友達に人生を任せたように、ロサは明るく屈託がなくなった。マヌエラは劇中「女はみな潜在的にレスビアンだ」と言っているが、これはアルモドバルの実感だろう。彼は「女同士には生まれながらの親切のようなものがあって助けあっている」とインタビューで語り「それは男にはないものでしょうか」という質問に言下に「ない」と断言。男同士の助け合いなどは神父を除いてみたことがないそうだ▼ロサは子供を産み落としたあと死ぬ。マヌエラはロサの葬儀の日、参列にきたロラにあう。彼は女性となったもののすでにエイズの進行で余命は知れていた。喪服をきて青ざめた死神のような元夫をマヌエラは「美人よ」と励ます。生まれたばかりのエステバンをかかえ、エイズに自分も感染しないかとびびるロサの母親とのトラブルを回避してマヌエラは一時マドリッドに帰った。そして2年。エステバンが免疫を備えていることが検査でわかり、マヌエラは再びバルセロナに。ウマとアグラードが大喜びで抱きしめる。人生の残酷さととなりあうやさしさ。カンポ(野原)と呼ばれる、娼婦(男娼を含む)たちの交渉場にひしめく男と女。乗り入れる車。アグラードはウマの相手役の男優に「もやもやしているからフェラしてくれ」と迫られ「わたしのホンモノはハートと体中のシリコンよ。そういう仕事は引退したの」と追い払う。彼はマヌエラやウマやロサが好きだ。子供を亡くした母、パートナーが去ったレスビアン、フェラのときだけ声をかけられるオカマ、それぞれが午後の傾いた日のような影を心の中に持っている。傾いた日はもの哀しくもあり、でもそのなかにまだ明るさはある。そんな日常の愛の翳りこそが人生の現実だろう。それを知ったマヌエルもウマもアグラードもロサも、現実がつきつけるすべてのものに毅然とむきあっていて美しい。それがこの映画を心地良いものに、ピュアなものにしている。

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