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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年11月21日

特集 LGBT-映画にみるゲイ モーリス(1987年 ゲイ映画)

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監督 ジェームズ・アイヴォリー
出演 ジェームズ・ウィルビー/ヒュー・グラント

そして森へ消えていった

 この映画は原作者のE・M・フォスターからアプローチしたほうがいいかもしれない。監督のジェームズ・アイヴォリーと製作のイスマイル・マーチャントは私生活においてもパートナーです。二人が組んだ映画に「眺めのいい部屋」「モーリス」「ハワーズ・エンド」とくるとおわかりですね、三作とも原作はフォスターです。フォスターのヒューマニズムに彼らは傾倒し、とくにゲイ文学の金字塔といわれる「モーリス」の映像化に格調高く結実させました。イギリス上流階級の青年たちが学ぶケンブリッジの雰囲気、男子ばかりの教育、風格あるキャンパス、正装で臨む晩餐の席、そういうシーンがきめこまかい映画言語となって映画でなければ伝えられない臨場感を作っています。フォスターは自由にものが言え、同性愛的な雰囲気に囲まれたケンブリッジが大いに気にいっていました。「モーリス」は20世紀初頭としての当時、とても発表できる内容ではなくフォスターの死をまって(1970年没)公表されました。彼の愛した大学生活を最も色濃く反映した小説です。フォスターは後年「私の信条」でいかなる制度より人間関係が大事であるとし「祖国か友人かどちらかを裏切らなければならないとしたら、蛮勇をふるって祖国を裏切りたい」と書いて大きな反響を呼んだ作家です。1928年ラドクリフ・ホールが発表したレスビアン小説「さびしさの泉」が物議をかもしたとき、先頭にたって抑圧と戦ったのもフォスターでした。彼のがんばりに比べたら劇中のモーリスも「かくや」と思われる存在であります▼大雑把ですがほめるところはまずほめたと思いますので…主人公のモーリス(ジェームズ・ウィルビー)って完全に女嫌いよね。おまけに彼の母親や妹への態度をみていると女性蔑視も明らかだわ。ゲイでも女にやさしい男性はいくらでもいますよ。クライヴ(ヒュー・グラント)が自分の愛を受け入れてくれないからと、自分を愛してくれている身内の女性に八つ当たりするこの意気地のなさ。クライヴだって自分の身分や資産や、社会的見地から身を保護するために同性愛を拒否して女性との結婚を選ぶのだけど、モーリスが自領の猟場番のスカバーとできたときは心中おだやかでない、未練ありありなのよね。クライヴって人はモーリスが肉体関係を迫ると「駄目だ、そういうことをすると汚れる感じがする、この調和も、肉体も、精神も魂も。女にはわからない」…悪かったな。だいたい調和だとか精神だとか魂に、およそ女は関係ない生物だと言っているのと同じよね▼悶々とするモーリスはついに精神科医に相談に行く。縷々と告白したらこの先生(ベン・キングスレーがたった2シーンですが登場し、ドン引きするつぎのセリフをいいます)「君は昔なら死刑だ。フランスかイタリアか、同性愛が罪でない国行って暮らせ」可哀想なモーリス。男ってたいへんね、同情してあげるわ。あなたほど精神的存在でないからたいしたことはできないけど。それにしても女や使用人、つまり弱い立場の者に当たり散らすモーリスのかっこ悪さ。いちばんしっかりしていたのはモーリスが「チップ5シリングでは足りんのか」と侮蔑の言葉を吐いた召使スカバーですね。スカバーは一目見た時からモーリスに惹かれていた。彼が馬車に乗るのを見送ろうと、玄関に残っていたら(チップ欲しさにまだいる)と思われ前述のセリフになったわけ。モーリスは彼の情熱に押されて寝ちゃうのですが、いつ彼に脅されるかとびくびくしている。スカバーが「金をもらう気はない。君の体も傷つけない」ときっぱり言うのを聞いてやっと安心し、アメリカなんか行かずいっしょに暮らそうと言う。スカバーは「気は確かか。ここに残って、おれのこの風体で。君のおふくろさんはおれを見て何という」モーリスは熱でも出したように「仕事はやめる。地位がなんだ。ぼくらには頭と丈夫な体がある。よその土地へ行こう」「無理だよ、モーリス。そんなことしたって破滅だ。あきらめろ。じゃオレは行くよ」でもスカバーはアメリカ行きの船にのらずモーリスと破滅かもしれない道を選びます。モーリスはクライヴを訪ね「ぼくらはすべてをわかちあった。ぼくはスカバーと寝た。先のことはなにも言わんでくれ。スカバーはなんの保証もなくぼくのために将来を棒に振ったのだ」といい、どことなく意気揚々と森に消えていきます。クライヴは窓の下にケンブリッジの若き日のモーリスの幻を見る。このあとどうなる…男性のホモソーシャルな欲望の、それまで続いてきた形態は急速に変わっていきます。たとえばイヴ・K・セジウィックは「男同士の絆」(名古屋大学出版会)で、男は同性愛的なものを隠蔽するために女を通過儀礼とする、とホモソーシャル(男同士の連帯)とホモファビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女嫌い・女性蔑視)に切り込んでいきます。女性を暗黒大陸といったのはフロイトでしたが、彼の思想は女性の自我を阻むものでもありました。ゲイが内包する問題提議は文化と制度、そして知と愛と性の未踏の新大陸として、地平線上に姿を表しつつありました。すぐれた研究者たちや、痛みと怒りと命をわけあった人たちの思いの注がれた、洗練されたゲイ・レスビアン研究が過去の「暗黒と抑圧と差別」を明らかにしていきます。ともあれここで主人公は森へ消えていったのです。森であるとは、まるで「象徴の森」(ボードレール)のように意味深ですね。

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