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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年11月26日

特集 LGBT-映画にみるゲイ 荊の城(2005年 ゲイ映画)

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監督 アシュリング・ウォルシュ
出演 サリー・ホーキンス/エレイン・キャシディ

結局は熱い抱擁

 時代は19世紀イギリス、ヴィクトリア朝。ロンドンの貧民街の、窓から絞首刑が見える家でスーザン(サリー・ホーキンス)は育った。スーザンは子供のころ窓から絞首刑が見物できるといって木戸銭をとっていた抜け目のない子だった。彼女の養親は泥棒一家である。養母のサクスビー夫人は、子供は産んだがわけあって育てられない母親に代わって面倒をみていた。スーザンの母親もスーザンを産んで間なしに死んだのだ。サクスビー一家に出入りする若い詐欺師リバーズ(これが根っからの悪漢)が出入りしている貴族の屋敷に、モード(エレイン・キャシディ)という令嬢がいる。城の所有者の姪である。彼女には母親が残した遺産4万ポンドがある。結婚したら相続できる。叔父は作家で沢山の蔵書に囲まれて暮らし、モードはその秘書役として精神病院からひきとられた。彼女が病気ではなく母親がモードを病院で産み、モードの字がきれいで正確なことから、叔父が秘書としてひきとったのだ。この叔父が変態ジジイだ。いやらしい挿絵や物語の本を思春期のモードに写本させ、出版業界の本屋たちを城に招いた「読書会」では、とくに卑猥な箇所をモードに朗読させ反応を横目で確かめる。美しい知的な少女が朗読するエロティックな場面に、参加者らは異様な関心を寄せていた。リバーズはモードと結婚し、モードが遺産をひきついだらモードを精神病院にいれる、なぜなら叔父が必ず取り返しにくるが精神病院なら手が出ない、というわけ。スーザンはいくらなんでも精神病院にいれるのはかわいそうだと同情するが、高額の礼金に「うん」と言う。これが序章です。時代考証といい、貧民街の臭いがしてくるような貧しさと汚らしさといい、家具のテーブルや腰掛けのみすぼらしさ、翻って貴族の屋敷の伝統と資産を引き継いだ贅沢さ。城に行くまでの長い田園風景。当時のイギリスはかくやとばかり闊達に描き出されます。金持ちなのだからなんでもできるだろうとリバースにいわれたモードは「そう考えるのは男だからです。なにかをしたいと思う女にとって社会は牢獄です」と答えます▼番狂わせはモードが心やさしい令嬢で、世間知らずな彼女は同い年のスーザンをすっかり頼りにし、はやりのダンスをいっしょに踊ったり、散歩にいったり、いつも自分のそばを放さない。スーザンはこのウブな娘を騙すのかと思うと胸がいたむ。リバーズはそんな弱気でどうする、この計画が失敗したらお前も縛り首だとスーザンを脅しながらようやく、モードに駆け落ちを約束させる。城をでたら自由が待っている。モードはなぜか浮かない。結婚したらどうやって初夜を迎えるのかスーザンに聞く。スーザンもいいにくそうだがモードは懸命にスーザンにせまり、たのむから教えてくれとしがみつく。マアいやみのない「実習」シーンでしたけどね。それはそれとして、モードにしたら変態伯父さんのもとで青春を食いつぶすことに耐えられず、偽装結婚で脱出したかったわけね。駆け落ちしたモードとリバーズは取り敢えず初夜をすごし(どんな初夜だったかあとでわかります)筋書き通りモードを精神病院にいれるため、どうも彼女の様子がおかしいといいふらします。人間おそろしいもので情報を注ぎ込まれると「なるほど、そういえば」とたちまち病院から迎えがくる。リバーズとスーザンがつきそって馬車に乗り病院までモードを連れてきた。さあ中へ。そういって手をつかまれたのはモードではなくスーザンだった。スーザンは声を限りに「自分はモードじゃない」と叫ぶがそれこそ病気だとされ監禁、治療と称して虐待される。精神病院の有様がリアルでした。当時の精神病院とは家で介護に手のかかる病人の「お払い箱」施設なのです。軽度の認知症や遺産をまきあげたあとの貴婦人やらが「社会不適合者」として収容され、犯罪人あがりが職員となり、患者をいじめて憂さをはらす。スーザンは半死半生の目にあいながら復讐の一念で脱出します▼真相に至るまで二転三転、物語は何度も急ハンドルをきります。文句ない筋運びだ。すべての計画の首謀者はスーザンの育ての親サクスビー夫人だと判明する。重厚な構成によって一気に見せるのですが、いっぽうで「娘二人に遺産を相続させるために、ここまでくどくどした仕組みが必要だったのか。簡単な目的を複雑に修飾しただけではないか」という作劇への疑問がどうしてもぬぐえないのです。「なんでこんな犯罪をおかした」と問つめられたリバーズは扉を開き「見ろ。これだ。この貧しさがそうさせたのだ」といいます。わかりきったことを大げさにいうなよ。一事が万事ちょっと芝居がかりすぎているのだ。要は娘ふたりはどっちも騙されたのです。一人は実の母親に、一人は育ての母に。なにもかも事件が終着したあと、自分の所有となった城を訪れたスーザンは、そこで作家然としてポルノ小説を書いているモードを見ます。なんちゅう奴。スーザンはあれほどひどい目にあわされたのにモードが憎めない。この美しい城でふたりいっしょに暮らしましょうと明るい未来がほのめかされ、熱い抱擁でやたらややこしかった映画は終わります。ほんにもう…いいってことよ。

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