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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年11月29日

特集 LGBT-映画にみるゲイ ウェディング・バンケット(1993年 ゲイ映画)

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監督 アン・リー
出演 ウィンストン・チャオ/ミッチェル・リキテンシュタイン/メイ・チン/ラン・シャン

自然体の解決 

 アン・リーの映画をみたのは「ブローク・バック・マウンテン」が最初だったので、そこの視点から初期の本作をみると、やっぱり「ゆるキャラ」ですね。でもアン・リーの人生のとらえかたというか、現実把握というのは変わりません。人生に正解はない、そのときどきに自分たちが直面した現実を受け入れ、ベストでなければ次善三善でもいいから生きていこう、できれば思いやりをもって、というメッセージです。ミシェル・フーコーは「同性愛と生存の美学」(哲学書房・増田一夫訳)で「同性愛という問題の数々の展開が向かうのは、友情という問題です」とあっさり言っている。本作の登場人物たちの立ち位置は、ゲイの男性ふたりだけでなく、父と息子、父と息子の恋人、父と嫁、母と嫁、母と息子、ことごとくといっていいほど、この友情という思いやりの形に収斂されていく。アン・リーにはひょっとして、それがどんなに濃い味で出発した愛情であったとしても、ゆきつくところ「真水になる」という世界観があるのかもしれません。本作もけっこう「めでたし、めでたし」ムードなのですが、じつはその底に、口にだして言ってもだれも喜ばないこと、だれも得しないことは「自分の腹だけに収める」という友情のルール、言葉をかえていえば「大人のルール」がきっちり敷かれています▼それをもっともよく体現するのが父親(ラン・シャン)だと思えます。彼は息子ウェイトン(ウィンストン・チャオ)がなかなか嫁となる(はずの)婚約者ウェイウェイ(メイ・チン)を父母に紹介せず、いきなり結婚することにした、披露宴は明日、という性急なスケジュールに驚きながらも、息子にわけをきくと「彼女は本土出身だから反対されると思ってギリギリまで黙っていた」という。父親は感情を動かさず、やさしくウェイウェイを受け入れる。父親はかつて蒋介石政権の師団長、軍高官であり、台湾に移り住むことになった背景には、共産党政府との戦いがある。共産党が支配する中国本土の上海出身のウェイウェイを嫁として迎えるには複雑な思いがあろうが、それをみせません。息子がゲイであると打ち明けられた母親は狼狽を隠せないが「お父さんに言ったら心臓の発作で今度こそ死んでしまう」ゆえに黙っていると息子に告げる。息子たちが英語はわからないと思って両親の前で大喧嘩していた内容を、父親はすっかり理解していて、息子の恋人であるサイモン(ミッチェル・リキテンシュタイン)に「息子の恋人はわたしの恋人だ」と言う。でもこれも黙っていることにする。沈黙は金である▼サイモンはサイモンで、親を納得させて一日も早く台湾に帰国させるため、行きがかりの結婚をさせたウェイトンとウェイウェイが一夜にして妊娠した。怒り心頭に発するものの、ウェイトンが母親にゲイであることを打ち明け、自分と暮らすことを選択したと知り、ウェイウェイの子を自分とサイモンの養子としようと決める。ウェイウェイは一度は中絶を決めたが、自分がグリーンカード(永住権)がほしいばかりに偽装結婚にのったことが、家族・恋人の関係を撹乱し、新しい生命まで奪おうとしている、こんなうそ八百の人生「やっておれるか」と開き直り、子供は産んでひとりで育てるから、金の協力はちゃんとしろと父親・ウェイトンに要求する。両親は大騒動にはなったが、知らんふりをしていればとりあえず孫の顔はみれそうだと読んで、やれやれと帰国する▼本作ではすべての人物が事態の解決と収拾にむかって走っているようですが、ただひとり監督だけが傍観を決め込んでいます。落ち着き払ってむりになにかをこじつけようとしない。こしらえようとしない。それが「黙っている」とか「いわないでおこう」という「きっぱり」や「毅然」とかとまったく縁のない自然体な解決を導きだしています。そういや「ほっとけ」は「仏」に通じるのですってね。

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