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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年12月15日

特集 LGBT-映画にみるゲイ ポエトリー、セックス(2000年 ゲイ映画)

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監督 サマンサ・ラング
出演 スージー・ポーター/ケリー・マクギリス

芭蕉スピリッツ

 原題は「猿の面」です。サマンサ・ラング監督は非常な日本通で(劇中ヒロインたちが食べる昼食は寿司と丼=ただし丼をフォークで食べている)「猿の面」は芭蕉の「年々や猿に似せたる猿の面」が由来です。句の意味は元旦に猿回しがやってきて、猿に面をつけて、昨年と変わらない芸をさせている、自分もあの猿と同じように旧年同様のことを繰り返し、これからも繰り返すのだろうか…芭蕉死の前年の句で、本人は愚作だと評していましたがいい句だと思います。人間、半世紀以上生きてきて猿以上になにができたかと自問すれば「同じことのくりかえし」で、忸怩たるもののあるのがふつうではないでしょうか。この映画はどうにもこうにも単調で、平板で、ドラマティックな盛り上がりもなければ、犯罪映画やミステリー映画につきものの逆転劇もなく、それでいて徹底的につまらないかというとそうでもない。舌触りのザラッとした異味感が、本当につまらない映画と一線を画しています。ハリウッドよりヨーロッパ系に近い感覚だと思います。監督がオーストラリア人だから当たりまえというかもしれませんが、猫も杓子もハリウッドになびきがちな映画づくりをみていると、やはり希少価値を感じます▼ヒロインのひとりはジル(スージー・ポーター)でもうひとりはダイアナ(ケリー・マクギリス)。ジルは28歳。元警官の女性私立探偵。ダイアナは大学で詩の講座をもつ教授、近くUCLA(カリフォルニア大学バークレー校)の研究員として招聘される。女子大生ミッキーはバーで行われたポエトリー・リーディングの終了後、エロティックなラブ・ポエムを残し忽然と姿を消す。調査を依頼されたジルは、ミッキーが受講していた詩の教官、ダイアナに出会って一目惚れする。ダイアナには10歳年下の夫がいるにもかかわらず二人は調査に関係なくデートばかりするようになる。さきが思いやられる探偵さんである。ジルはミッキーが腐乱死体で自宅の庭の隅から発見されたと母親からの一報で知る。野良犬に食い荒らされ肉がちぎれ見分けられるものといれば服の柄だけだった。娘の変わり果てた姿に、両親は犯人をあげてくれと再調査をジルに頼む▼こうなったらダイアナと寝ている時間なんてないと思うのだが、ダイアナにもはやベタ惚れのジルはせっせとベッドを共にしている。ジルの女友だちは忠告するのだ。「ジル。やめときな。あの女はやばいよ。年増がいいなら他を当たりなよ」このヒロインたちですが、どっちも絵から抜けて出たモデルのような、ファッショナブルでもなければスタイリッシュでもない、そのへんのおばさんと、まったく風采のあがらない小太りの私立探偵というところです。監督は「猿の面」の日常性をリアルにするため、あえてそういうキャスティングにしたのでしょうか▼ジルはミッキーが複数の男性と性交渉をもっており、そのうちふたりは高名な詩人だとわかる。情報を集めていくうちダイアナもジルを裏切っていたことがわかる。調査は振り出しにもどった。いったいなんでミッキーは殺されたのだ。ミッキーは男関係こそ派手だったがマフィアやギャングがかかわっていた形跡はない。殺されなければならないほどビッグな秘密をにぎっていたとも思えない。ミッキーを殺してだれも得する人間がいなかったことにジルは気づく。ならばなぜ。ミッキーの死因は絞殺だった。ジルはふとダイアナが「3P」を提案していたことを思い出す。あなたの喉ってきれいねとダイアナは言ったのだ…ネタバレすると(もともと大したミステリーではない)絞殺プレイが好きなダイアナ夫婦が、ミッキーを誘って3Pをやっているときに誤ってミッキーを殺してしまったのだ。なんでミッキーの死体を自宅の庭先に埋めたのか、監督さえ忘れたように知らん顔している顛末が観客にわかるはずがない。かなり大雑把なそういうところが興ざめであるものの、ジルの最後のセリフ「忘れよう。本件はこれにて終了」は「昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ」という「千曲川旅情の歌」に通じるものがあります。島崎藤村は「朝(あした)を思い、また夕(ゆうべ)を思うべし」という芭蕉に傾倒したことを自作で綴っています。本作の元をたどればどうしても芭蕉に行き着きます。それを欧米人の感覚でこなした場合平坦、単調に陥らざるをえなかったことは、大目にみてあげたらどうでしょう。

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