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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2013年12月16日

特集 LGBT-映画にみるゲイ 素顔の私を見つめて…(2004年 ゲイ映画)

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監督 アリス・リー
出演 ミシェル・クルージ/リン・チェン/ジョアン・チェン

ひとつの愛の形

 DVDのパッケージ見て、よく考えもしないでてっきり主演は女の子二人だと思ったのよ。映画見終わったらこれ娘とお母さんだったわけでしょ。カン狂っちゃって。「素顔の私を見つめて」とはだれがだれに向かって「私を見つめて」と発信しているの? 主人公のウィル(ミシェル・クルージ)が恋人のヴィヴィアン(リン・チェン)に、ウィルから母親のホイラン(ジョアン・チェン)に、あるいはヴィヴィアンからウィルに、母親から娘に? まあいいか(全部ひっくるめて)だとしておこう。さいわい暑苦しくも、重たくもない映画だから一向に差し支えないです▼劇中ウィルがアメリカ人の同僚に「中国人が母親の世話を放り出したりしたら、とんでもないことになる。なにを言われるかわからない」というところがあります。シバリが強いのですね。この映画のシバリは二つ。一つはウィルがゲイであることは「とんでもないこと」なのだ。二つはウィルの母親が48歳で父親のいない子を産むことは「とんでもないこと」なのだ。だからウィルはバレリーナのヴィヴィアンに一目惚れしても母親に打ち明けられない。ヴィヴィアンは積極的で、自分のことを隠し事みたいにウジウジしているウィルが腹ただしい。よくあるゲイ映画のパターンですね。結局は主人公が勇気を奮って周囲にゲイを打ち明け、家族の理解を得て、恋人も満足してうまくいく、ことになるのでしょうが、一連のプロセスがすべてあっさり描かれています▼ちょっと物足りん気もするが、筋書きを見ていこう。ウィルは形成外科医としてニューヨークに暮らす中国系アメリカ人だ。ボーイフレンドもいる。厳格であり緊密である中国人コミュニティのなかで、ゲイであることをひた隠しにしている。その一方で彼女が勤務する病院で出会ったヴィヴィアンに一発ガーンとやられたように恋する。ヴィヴィアンとはどこか決然とした娘なのだ。一方母親は妊娠して実家を追い出され、ウィルのアパートに転がり込んできた。母親にゲイであることをいえない娘と、子供の父親がだれであるか言おうとしない母親が、ぶつかったり思いやったりしながらいっしょに暮らすわけ。ある夜パーティにいく約束が、手術が混んで(すごい件数をこなすのだ)深夜になり疲れきったウィルがやっと訪問した、パーティは終わってしまっていた。ヴィヴィアンは無愛想に対応をするが内心はうれしいので、すごすご帰ろうとするウィルを引き止める。ウィルの目が輝き「今夜は泊まっていくわ」と俄然ソノ気を示すのだ。ハリウッドのコテコテのベッドシーンを見慣れているとここは(…)かもしれませんが、もともとこの映画、なにごとにおいても胃もたれしないようにできています▼ヴィヴィアンに、自分のことをお母さんに紹介してくれと頼まれたウィルが家に招じたものの、食卓の空気は緊張しまくり。なにげない仕草で二人の仲を察した母親が「そんなにきれいで恋人はいないの、ヴィヴィアンちゃん」とか言ってさぐりをいれてくる。いないと答えると「どうしてつくらないの」と手綱をゆるめない。潮時をみてヴィヴィアンが帰ったあと、ウィルは思い切って「わたしゲイなの」と打ちあけるのだが「自分の娘はゲイじゃない」と母親は無視。「では私は娘じゃないのね」と涙ぐむウィル。泣くことかよ、お前が母親の面倒みてやっているのだろ、なんてことは、言ってはいけないらしいのだ。でもやっぱりそこは母親。つまるところ「ヴィヴィアンっていい子じゃない」と理解してくれ、すったもんだのあげく母親のお腹の子の父親もわかり、ヴィヴィアンの願い通り、ウィルは衆人環視のダンスパーティでヴィヴィアンにダンスを申し込み、くるくる踊ってヴィヴィアンを抱きしめ熱いキスを交わします、はい。開放的なヴィヴィアンとクローズしているウィルの葛藤が焦点のひとつのはずですが、この映画が作られたのがざっと10年前。絵のようなハッピーエンドにも一時の盛り上がりがなく、ゲイやゲイに対する感覚は長い間かかったものの、すでにそこを通りすぎ、ゲイもまた愛情の一つの形であることを普通に受け入れるようになってきている、そんな気がしたことがいちばん新鮮でした。

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