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特集「銀幕のアーティスト」

2013年12月20日

特集「銀幕のアーティスト3」 アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記 (1968年 事実に基づいた映画)

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監督 ダニエル・ユイレ/ジャン=マリー・ストロープ
出演 グスタフ・レオンハルト/クリスティアーネ・ラング

バッハが全世界だった

 長らくアンナ・マクダレーナ・バッハの著だとされていた「バッハの思い出」は、後年エスター・マイネルが1925年発行したフィクションだとわかったが、それでも1977年版ダヴィッド社の「バッハの思い出」(山下肇訳)を読んだときの感動は消し難く、だれが書いたものだろうと自分が感動した思いは本物だったからそれでいいと思った。自然にそう納得できる清澄な作品だった。音楽に生涯を捧げたのがバッハなら、そのバッハに生涯を捧げたのが妻アンナだった。本作はそのアンナの視点と声を交えて綴った映画で、18世紀の生活習慣や演奏風景が再現されている。それもさることながらアンナは4人の子のいるバッハの後妻として嫁ぎ23歳から41歳のあいだに13人の子をなし7人は早逝した。彼女がきりもりするのは大所帯だった。ありとあらゆる家事のやりくり、大勢の小さな子どもたちが走り回る目の放せない家のなか、いつも足りないお金と多すぎる用事、絶えまない炊事、洗濯、裁縫や縫い物、そうした負担と疲労に耐え切れなくなると、アンナはちょっとの時間をつくってセバスチャン(バッハ)のカンタータやオルガンの練習を聞きに行ったと「思い出」にある▼映画は大作曲バッハではなく生活人バッハをとらえていく。バッハは厳格で生徒たちに教えるときは厳しく、指示に従わないものは退席させた。身辺はいつも彼の音楽の美しいハーモニーのごとく整理整頓。イギリスに行ってドイツに帰ってこないヘンデルを、名声と金儲けの好きな俗人とアンナは手厳しく指摘する。セバスチャンは一日のうちときおりパイプを手にするとき以外、仕事の手をとめたことのない働き者で、しかし人の言うことをきかないバッハ家の性格を立派に受け継いでいた。なかには頭の痛い子供もいた。息子の一人は父親に行方もしらせず蒸発し、借金をこしらえ旅先のイェイナで急死したという悲報もあった。そんなエピソードをアンナは語っていく。彼女は声楽を学んでいたが嫁いでからバッハの手ほどきでオルガンやクラヴィーアを習い、劇中幼い娘を床に遊ばせながら「パルティータ第6番ホ短調」を弾くシーンがある。この映画で最高のシーンを選べといわれたらここをあげる。スクリーンはモノクロだ。白と黒の緊張のなかに、整然と家具の配置された明るい室内。開かれた手書きの楽譜。アンナを演じるクリスティアーネ・ラングは指揮者ハンス・ドレヴァンツ夫人だ。ときに上体を傾斜させ、ときに背をそらしながら、鍵盤の上で無心に動く指と腕と肩と半身。バッハに扮したグスタフ・レオンハルトはバッハの「フーガの技法」チェンバロ演奏会でデビューした。本作に出演したときは40歳。脂ののりきったキャリアで謹厳なバッハを好演している。アンナにいわせるとバッハはお世辞にもハンサムといえる容貌ではないとしながら、ときに炯々と、ときに慈愛にみちた目の光り、がっしりした鼻とあご、どちらかといえばいかつい風貌は世界でいちばんやさしい夫だった…きっと仲がよかったにちがいありません。とにもかくにも13人の子をなすのですからね▼勇敢なアンナ。今なら考えられるだろうか。呆然とするしかない時代と環境であり、女性のおかれた場所であるという、そんな視点がヘッピリ腰にみえるほど、アンナの姿勢には微塵も迷いがない。彼女は断言する。「セバスチャンという人は、彼を愛しているのでなければ容易に理解できない人でした」。厳格で無愛想で、校長ともケンカする男で、アンナさえ「最初から彼を愛していなかったらきっと理解できなかった」という。でもアンナはわかっていた。バッハを理解させるものは言葉でも肩書でも地位でも、家族や妻でさえなく、彼の生み出す音楽であることが。というのもアンナが教会でこの世のものとも思えない美しいオルガンの演奏を聞いたとき、弾いていたのはバッハで、彼女は夫となる人に会うより早く、彼の音楽を愛してしまっていたからだ。先の「最初から彼を愛していなかったら」にはそういう事情がある。アンナはこんな女性だった。バッハの勤務地がロシアになるかもしれないと聞かされたときだ。見たこともない異国。ツンドラに凍てつく大地。人間の数よりシベリアンハスキーやクマやオオカミのほうが多いのでは。たくさんの子供を連れて未開の原野(そう思えた)にいくのか。ビビって当然だろう。今でこそ単身赴任という方法もあるが、家父長制一色の当時そんなことを言っておれるか。離縁してくれたほうがましかもしれない。アンナはしかし氷の果ても地の果ても「この世界のどこであろうと、セバスチャンと子供たちのいるところがわたしの家なのです」脱帽。

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