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特集「ダンディズム-dandyism-」

2014年1月19日

特集「ダンディズム」 スティーヴ・マックィーン 栄光のル・マン (1971年 アクション映画)

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監督 リー・H・カッツイン
出演 スティーヴ・マックィーン

いい加減な人生ってけっこうある 

 「栄光のル・マン」の興行的な失敗は、どんな映画にするかでスティーヴ・マックィーンとスタジオ側が衝突したことにある。セミ・ドキュメンタリー風にしたいマックィーンと、恋愛ものにレースを添えたいスタジオ側は折り合いがつかず、結果的にマックィーンはジョン・スタージェス監督との長年の友情を失い、後の離婚(直接的な理由はこの映画ではないが、レースに熱中する夫に16年寄り添った忍耐強い妻・ニール夫人がついていけなくなったこと)を考えれば、妻も失ったことになる。彼の制作会社、ソーラー・プロダクションも解散の憂き目にあった。踏んだり蹴ったりの映画になったが、本作は少数派のファンの圧倒的支持を受け、カーアクション映画の名作となった。車の車種がどうとかこうとか、ル・マンがどこにあるのやらさっぱり興味のなかった者が知ったかぶりをしても仕方ないから白状するが、どこが名作の所以かと聞かれたら「さあ」と言うしかない。マックィーンの個性や人格や性格にはわかりやすいようで扱いにくいものがあり、孤独や独特の陰影はビジネス用ユニフォームのようでもあれば、独りでいるときにいちばんのびのびできる内的人間であったことも真実だろう▼劇中マックィーン扮するポルシェ・チームのデラニーに、フェラーリ・チームのレーサーであった夫ベルジェッティの妻リサがこう尋ねる。デラニーとベルジェッティはレース中の事故で重傷を負い、デラニーは助かり、ベルジェッティは死んだのだ。デラニーは前年のル・マンで事故、そのつぎの他のレースで怪我し、今回ル・マンでは早々と車が破損し彼はリタイア、いわばツキから見放されたレーサーだ。リサは夫に死なれ現在の恋人はついさっきのアナウンスで事故したことを知る。いうなればどっちも(くら~い)雰囲気なのである。デラニーはリサに縁起でもないル・マンになんで来たのかと聞く。リサは「自分のため」と答える。ふうん、デラニーが好きなのですね。でもこの映画にロマンスの「ロ」も介在させたくないマックィーンは、リサの恋人が事故にあったことをデラニーは「たいしたことじゃない、レースでは何度でも起こることだ」そこでリサが尋ねる「命を賭けるなら他に大切なことがあるのでは。人より速く走ったとしてもそれでどうなるの?」デラニーは「いい加減な人生ってけっこうあるものだ。だがレーサーは常に真剣勝負だ。それだけが人生だ。走っているときの前後は待ち時間さ」整いすぎているうらみはあるものの、これがレースに熱中して離婚にまで至ったマックィーンの答えだとしても妥当だろう▼映画はドキュメンタリータッチでル・マンの表情からとらえていく。レースの開催日、前夜からできたテント村、幹線道路から数珠つなぎで乗り入れてくる観戦者の車両、満車になった広大な駐車場、出場者のレースカーが搬入される。サーキットは一周13・469キロ(8・369マイル)、田舎道とハイウェイが混在し、一年の内363日は一般道路として使用される。55台の車と110人のドライバーが人とマシンのスピードと耐久性を競う24時間レースが「ル・マン」。レースは昼夜晴雨に無関係。ドライバーはスーツの下に耐火性下着を着用する。それは1300度の高温に15秒間耐えられる。血液型はスーツとヘルメットに記入する。車1台に2人。1人がトータルで14時間以上運転することはできない。交代時には1時間以上の休憩を取る必要がある。レースは午後4時にスタート、翌日午後4時に終了。24時間以内に走った距離で優勝が決まる▼カーレースがしのぎをけずるサーキットの外には遊園地がある。ル・マンを訪れた家族連れが幸せそうに遊具に乗る。芝生では恋人同士が抱擁する。ベンチでは平和なおしゃべり。まことにカーレース以外に人生に価値あるものはこれほどあるのだと監督もマックィーンも指摘することは正しい。レースの進行につれて事故でリタイアする車が増えてくる。残る車は30数台に減った。折しも雨だ。ピカピカだったどの車も、ぶつかったりこすれたり、跳ね飛ばされたり、へこまされたり、パンチを受けたボクサーみたいにボコボコになってきた。レーサーたちの疲労は極限だ。一度は事故車のため降りたデラニーだが、打倒フェラーリに燃えるポルシェ・チームの監督はレーサー交代を告げ、デラニーが最後の8分間のハンドルを握る。ここからはマア、レースのことなんか門外漢でも死闘だってくらいわかりますよ▼日本で本作は大ヒットしル・マン参戦機運を高め、1973年日本チームが初めてル・マン24時間に参戦した。マックィーンの肖像権問題は本作の宣伝に複数の企業とタイアップ契約を交わしたことから起こった。自分のあずかり知らぬ商品の宣伝に自分の肖像が無断で使われたことを不服としたマックィーンが広告会社を含めた4社を損害賠償で訴えた。1978年には来日し証言も行ったが、1980年東京地裁は「日本の慣行上問題はない」としマックィーン敗訴の判決を下した。マックィーンの死の直後だった。けっこうみないい加減な人生を生きている、なんて、けっこう耳が痛いね。

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