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特集「ダンディズム-dandyism-」

2014年1月20日

特集「ダンディズム」 アラン・ドロン スワンの恋 (1983年 文芸映画)

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監督 フォルカー・シュレンドルフ
出演 ジェレミー・アイアンズ/アラン・ドロン/ファニー・アルダン

反骨のダンディズム 

 フォルカー・シュレンドルフ監督はドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」を映画化しています。面白くなくてもいわゆる名作という小説の映画化を彼は好きなのか。ではなくて本作はめぐりめぐって彼に監督が回ってきたといういわくつきです。ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ジョセフ・ロージー、フランソワ・トリュフォー、ルイ・マルら、当代きっての監督が企画にあがりましたが結局実らず、ニュー・ジャーマン・シネマの旗手だったシュレンドルフ監督に落ち着きました。多忙な監督たちのスケジュールの調整がつかない、ということもあったでしょうが、原因はやはりプルーストという作家の難解さにあったと思います。ヴィスコンティの晩年はプルーストへの挑戦だったといってもいい。彼は脚本まで準備しながら先に「ルートヴィッヒ」の撮影に入ってしまいました。配役は主人公マルセルにアラン・ドロンが予定されていました。今から思えばプルーストとアラン・ドロンは因縁浅からぬものがあったわけです▼本作でアラン・ドロンはシャルリュス男爵に扮します。タイトルロールのスワンにはジェレミー・アイアンズです。ふたりはパリ社交界に出入りする友人同士で、スワンは裕福なユダヤ人実業家の息子。シャルリュス男爵はゲイです。二人の共通点は芸術や文学に、時代精神を先取りした鋭い審美眼を持っていること。男爵はモンテスキュー伯爵というプルーストの旧友がモデルです。社交界にも文壇にも強い影響力を及ぼした人物で、自身ゲイであったプルーストは強い関心をもって彼を見ていました。プルーストの関心が並々ならぬものであったことは「失われた時を求めて」の後半の中心人物が男爵であり、ゲイの守護聖人ともいえるキャラを担ったことでもわかります。プルーストはゲイを初めて文学の中心にすえた作家であり、それまでタブー視されていたゲイはプルーストが造形したシャルリュス男爵によって、陰影に富んだ複雑な性格を与えられたといえます。シャルリュス男爵というキャラの出現が、後世の作家たちをしてゲイを現代文学の中心的テーマに開眼させたといっても過言ではないのです▼ではシャルリュス男爵のキャラとはどんなキャラだったのか。アラン・ドロンが飛びついたはずの、ダンディズムの極致ですよ。物語の舞台は19世紀パリ社交界。毎夜パーティに明け暮れる貴族たちは知性も教養のかけらもない俗物ばかり。スノビズムどっぷりの上流階級で、芸術に造詣が深いスワンは洗練された会話、優雅な態度物腰で社交界のトップに君臨するゲルマント公爵夫人(ファニー・アルダン)のお気に入り。そんなスワンを貴族たちはユダヤ人だという理由で差別する。このスワンに高級娼婦オデットを紹介したのが悪友シャルリュスだ。スワンは最初オデットに関心を示さず嫌悪さえ覚えるが「カトレア」の花がきっかけでストーカーも顔負けにのめりこむ。いっぽうで男たちを物色するシャルリュスの目に女性たちは野菜の群れのようにしか映らない。着飾った貴族の女たちに男爵はきれいな流し目をくれ「ほう。帽子の上に果物が、おや、今度は野菜を乗せて」と冷笑する。と思えば、目をつけた青年が無知だとわかると痛罵する。確固たる彼の美意識の前に、社交界の人間の愚劣極まる俗悪さが情け容赦なく暴かれる。ゲイであることを公表することは(まして100年前)かなりのリスクを負ったはずだが、シャルリュスはあたりを睥睨している。社交界など彼が敬意を払うべき男も女もひとりもいない、ただの野菜女と俗物男の群れだからだ。自意識とナルシズムのかたまり、かつそれを標榜するのになんのためらいもない自信の権化。こういう男をやらせるとアラン・ドロンの右に出る役者はいませんね▼シャルリュスのダンディズムとは、ゲイという社会的な逸脱者とみられる立場でありながら、その差別を軽々と見下した透徹した知性にあります。それはプルースト自身のものでもありました。彼はイギリスで同時代人の作家オスカー・ワイルドが男色で逮捕されたニュースは知っていたでしょうが、作家の本性もだしがたし。逮捕だろうと監獄だろうと世間のことなどおれの知ったことか。小説の中でおれは生きていくのだと思ったにちがいない。スワンが夢中になったオデットが、女同士で娼館に通っているという目撃証言にスワンがうろたえ「本当か、本当か」とオデットを問い詰めるシーンがあります。オデットは「さあ。ソーユーことって二度か三度かあったかもね。知らない女よ。たいしたことないわよ。なかったのと同じよ」などとすこぶるつきのとぼけた答え。スワンは「ゲスでバカなサイテーの女。なぜこんな屈辱を味わう。もう愛すまいと思ってもできない。この病気でぼくは死ぬかもしれない。オデットが死ねばいいとさえ考える。事故かなにかで苦しまず。人生を台無しにし、最大の愛情を好みでもない女に注いだ」と振り回される男をプルーストはどこかで冷笑しています▼十数年たったパリ。馬車のそばを自動車が走る時代だ。中年になったシャルリュスとスワンはベンチにすわり話す。シャルリュスは「人生は画家のアトリエと同じだ。破った下絵でいっぱいだ。幻影に望みを託すが次々消える。野心も夢もすべて消える。友情は? とるに足らん」まったく逸脱と反社会性が服をきたような男です。ユダヤ人でありゲイであり娼婦であり、時代と世間からはみだし者とみなされていた人物を主人公に、光と影と反骨のダンディズムを彫り込んだところにプルーストの作家としてのセンスと、時代によって失われることのない卓見がありました。そのうちの一人を体現したアラン・ドロンの存在感ってかなりのものでしたよ。

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