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特集「ダンディズム-dandyism-」

2014年1月21日

特集「ダンディズム」 アラン・ドロン サムライ (1967年 犯罪映画)

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監督 ジャン=ピエール・メルヴィル
出演 アラン・ドロン/カティ・ロシェ/ナタリー・ドロン

鏡のダンディズム 

 評価の出尽くした映画の常として、キーワードを選ぶのが難しい。思い切って「女」にしてみよう。いったいどこに女の出る幕があるのか、というジャン=ピエール・メルヴィルとアラン・ドロンの映画ですが、まあ一概にそう言えるものでもないだろうということで。本作はメルヴィルのいわゆる「アラン・ドロン三部作」の第一作です。このあと「仁義」「リスボン特急」と続きます。キーワードを「女」にすると言っても、本作がナタリー・ドロンの映画デビュー作だからというわけではないです。それより黒人のピアニスト、ヴァレリーに扮したカティ・ロシェがとてもいい▼女優としてもいい感じですが全編これストイックの塊という「サムライ」で、彼女とアラン・ドロンのからみだけが異質で、結局それが主人公ジェフ(アラン・ドロン)の破滅を招く。そういう存在であるところに、メルヴィル独特の二重の隠し味があるのですが、本作の初見でこれがわかる方、相当の映画の「見巧者」だと感服します。ネタバレしたところで全体の構成に揺らぎはないので書いてしまいますが、ジェフが仕事のあとヴァレリー他数人に顔をみられ、その夜のうちに「ハットにトレンチコートの男」400人が警察にしょっぴかれ数人の目撃者が面通しする(夜の夜中に400人ですってよ。いくらメルヴィルとは言え、この映画にはクビをひねる箇所がいくつかあります)。ジェフはヴァレリーが「この人じゃない」と証言してくれたことを自分に対する好意か、と解釈する。ヴァレリーは知的で寡黙な、クラブ「マルテ」の人気ピアノ奏者。殺し屋ジェフに仕事をたのんだ依頼人はじつはヴァレリーの愛人で、ヴァレリーがジェフをかばったのは好意ではなく、警察にあげられて組織の犯罪がばれてしまうことを恐れて、でした。なりゆきでヴァレリー殺害を請け負ったジェフは、はじめから彼女を殺すつもりはなく空砲の拳銃でその場をにごし高飛びするつもりだった。二度と戻らない部屋から、自分を狙ってやってきたやつをやっつけ、椅子にしばりつけたままにした男と小鳥を残して去る時、だから部屋に鍵をかけないのですね、だれかがすぐみつけられるように。ヴァレリーは近づいてきたジェフにピアノを弾きながら「ここにきちゃだめよ」と言う。拳銃を出そうとしたジェフは張っていた刑事たちにあっというまに射殺される▼確かにこの映画、いいところはいっぱいあります。丁寧に描かれていく用意周到なプロット。まずファーストシーンがいい。ピイ。ピイとかすかに小鳥の鳴き声だけがある暗い部屋。窓の外は雨。だれもいないと思えた部屋にタバコの煙がくゆらぐ。それでやっと人がいるのだとわかる。この住人は小鳥を飼い、ほかにだれともあおうとせず、家具のほとんどない部屋に一人で住む男だとわかってくる。彼が出かけるときは鏡に向かい身だしなみを整え、最後に帽子のつばを人差し指と親指二本でさする。メルヴィルはほぼ全作品に鏡を使います。男たちがなにかをしようとするとき、鏡に自分を映しきちっと自己点検する、厳しい仕事であればあるだけ、鏡の自分は冷たく鋭くそして美しくなければならない。なんとなれば美しさとは自信のバロメーターである。本作の主人公のダンディズムはいいかえると「鏡のダンディズム」です。セリフによる説明を極力そぎ落とした映像の魅力は、すなわち映画の魅力でしょう。メルヴィルは例のメルヴィル・ブルーでスクリーンの色調を統一し、小鳥が鳥かごで羽ばたく小さな羽音、ジェフの無言の立ち居振る舞い(たとえば人気のない、パリの舗道に立つ主人公の刀身のような立ち姿)、ジェフが持ち込む盗難車のプレートを黙って取り替える相棒との仕草だけのやりとり、パリ郊外の石壁が続く陰鬱な道はまるで佐伯祐三の絵のよう。それら映像と音でしか伝えられないものを饒舌に駆使します▼しかし、である。繰り返し見てわかったことはヴァレリーの正体だけではない。この主人公は飲まず食わず眠らずセックスもせず、どうやって生きているだろう。映画に必要ない? マッそれならそれでいいとしよう。しかし警察がジェフの留守中部屋に盗聴器を仕掛けにくる。カーテンのかげである。窓を開け閉めするときにすぐ気づくにちがいないような場所に仕掛けるばかさ加減。ジェフを尾行するのに警部は「まかれるな」とハッパをかけ、なんと50人の署員を動員する。警察中からっぽじゃないの。それともこの署はほかに事件がないのかよ。ジェフは傷を手当し血痕のついたガーゼを路上にポイ捨てする。自分に尾行がついているとわかっていて、わざわざ手負いの身だと知らせる殺し屋がいるか。まだある。仕事を終えたジェフが報酬をうけとるべく歩道橋の上で依頼人の差し向けた男とあう▼「スティング」の女殺し屋とロバート・レッドフォードが距離を縮めていくときと同じ、緊張あふれるいいシーンなのだが、「よし、約束のものだ」と相手が取り出したのは拳銃、あっさりジェフは撃たれちゃう。対面して、相手に鷹揚にふところに手をいれさせるような殺し屋が業界トップレベルの高額所得者なのか。最高にわからないのはヴァレリーの家に行ったジェフが、ヴァレリーが「わたしが必要でしょ」と言っているのに「いい。おれの仕事だ」と言ってそれ以上話さず帰ってきちゃう。いったい何をしに行ったのよ。ヴァレリーにしたらギャングのボスより純情な(そうヴァレリーには思える)ジェフに寝返りたかったのかもしれないのに、見栄張ってクールに去る。でも最後になってあのときほんとに彼はヴァレリーのいう意味がわかっていなかった、早くいえば鈍感だったのだと観客にはわかる。こういう竜頭蛇尾のところはありましたものの、本作をアラン・ドロンはいたく気に入り、以後の殺し屋のスタイルに多大な影響を与えた映画という定評を得ています。本作公開からほぼ半世紀。アラン・ドロンの「サムライ」といえば、今じゃ香水の銘柄と思われているのがちょっと残念ですけど。

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