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シネマ365日

2014年1月27日

オフィス・キラー (1997年 サスペンス映画)

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監督 シンディ・シャーマン
出演 キャロル・ケイン

趣味は「殺し」よ

 一言でいうとヒロインは「女ノーマン・ベイツ」なのだ。両親が亡くなり一人住まいの中年にさしかかったドリーン(キャロル・ケイン)は新聞社に勤続16年。父親は創業者の一人だ。だから親の七光りで優遇されているか、といえば違う。重要なのに目立たない地味な仕事である校正に取り組む無口な女性。編集局の女たちはドリーのことを「陰気なネズミ女」と陰口を叩く。この新聞社が経営難でリストラすることになった。首切り役のノラは校正室にきてドリーンの名をあげ「在宅勤務」を言い渡す。家には寝たきりの母親がいる。ドリーンは母親にこまめに声をかけ食事をベッドに運ぶ。母親はつぎつぎ用事をいいつけ高圧的だ。ドリーンはジャンボという名の雉猫を可愛がっているが母親は目の敵にし、娘にねぎらいの言葉ひとつかけない。母親をじっと見つめるドリーンの目はさっぱり表情を窺わせない。不気味な母娘である▼それもそのはず。ドリーンの両親は一人娘のドリーンをひとつも可愛がらなかった。容貌がどうだ、こうだと意地の悪いケチばかりつける。夫は娘と関係をもちたそうに隙を狙っていた。ドリーンは母親の目を盗んで手を伸ばしてくる父を、運転中わざと注意をそらして衝突させ事故死、そのときの怪我がもとで母親は半身不随になった。母親はドリーンに恨み骨髄、奴隷のごとくこき使う。会社では女だけでなく男もドリーンをバカにする。残業で遅くなったドリーンがパソコンの操作がわからず尋ねにいくと、残っていた男上司がブータレながら調べていたが感電死してしまった。ドリーンは驚倒するが悪魔が一瞬のり移ったのだろう、死体をひきずって車に乗せ、家の地下室のソファに腰掛けさせ、親しげになにやら話しかける▼シンディ・シャーマン監督はなかなかの腕である。平凡な状況設定なのにひとつも隙がなくダブリもタルミもない。奥行きのある撮影はいまに事件が起こるぞという不測の何かで手招きする。ドリーンの世界観は一変した。今までえらそうにしていたやつなんかにビタ一文の値打ちもなかった。せいせいした。このさわやかさはなんだろう。いよいよ連続殺人です。文句を言ってきた女社長、食事をともにしたリストラ担当者、自宅にやってきたパソコン担当者、クッキーを売りにきた近所の子供たち、彼等の死体を地下室に置きソファに並べた。口うるさいばかりの母親も始末する。ドリーンはもともと自分に意地悪だった編集アシスタントをも殺そうとするが未遂におわり、逆に警察に通報される。ドリーンはためらいなく家に火を放ち炎上させた。ラストのドリーンは見たこともない美人に(本来のキャロル・ケインであるが)生まれ変わり、明るくさっそうと車を運転しつぎなる町に走っている。目的は就活それもマネジメント職・経営補佐募集への応募である▼腐乱死体の胸にナイフが突き刺さって臓物がこぼれる、切り落とした手首が干からびてミイラみたいになる、そんなけっこうグロイ場面もあるのだが全体としてこの映画の空気にはメルヘンチックなものがただよっているのだ。この殺人犯はまるで「アダムス・ファミリー」のウェンズデイがいう「趣味は殺しよ」という感じなのだ。ソファに並んだ死体は人形館みたいな秘密の空間だし、だれにも見向きもされなかった「ネズミ女」が、ゴキブリみたいな生活から、あっと驚くいい女になり、陽光あふれる世界の住人になるとか、監督は「ネズミ女」の生まれ変わりをポジティブに、歓迎すべきものにとらえています。監督はこの映画を連続殺人の犯罪映画にするつもりは毛頭なく「アリスの不思議な旅」バージョンだったのではないでしょうか。人間が100人いれば100の現実がある。人間の脳のなかで紡がれることもまた現実であり、その形状は無数で不可解だ。そんな脳内現実をしっかりした枠にいれて鑑賞しようとしたら、こんな映画になったみたいですね。

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