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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年3月11日

特集 LGBT-映画にみるゲイ54 マルホランド・ドライブ(2001年 ゲイ映画)

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監督 デヴィッド・リンチ
出演 ナオミ・ワッツ/ローラ・ハリング

ゲイという孤独

 デヴィッド・リンチの映画の中核にあるものは「異様さ」です。内面の地獄めぐりともいうような異界。それが「マルホランド・ドライブ」では、男と女、女と女、過去と現在が遊離しながら混線し、交わったかと思うとワープする。リンチが伝えたがっているムードや感覚は知性と不確実さの形態に絶えず結びつき、迷宮に彩られます。リンチの指し示す異様さに安らぎやくつろぎや整合性はない。人の心のなかこそ異様なものの世界相だと彼は固く信じている。それは荒野でもあれば豊饒であり、日常的であるかと思えば劇的であり、自分の内面であるがために身近すぎて、つい見過ごしている世界を暴くのがおれの映画だとリンチはいいたそうです。現実とは一皮めくれば別の空間がある。めくればめくるほどいろんな異質空間が出現する。青空や太陽も、美しい花もそよ風も清らかな水もいいものだが、すべてのものにはもうひとつの力が働く。それは激しい痛みや腐敗や悪臭や、敗北や悪や憎しみを伴う力であり、掘り下げればほりさげるほど微細な原子未満の領域に降りていき、世界は抽象化されざるをえない。抽象化とは現実を離れたイメージであり、概念とか想念の世界であって、見慣れた可視の形象から外れていくこともあって当然だ。それを映像化するにはあらゆる手法が必要だ、頻繁に交差する時間軸、登場人物の描く現実と空想、環境の転換、過去と現在の入れ子構造。頻繁に「わけのわからぬ映画」といわれてきた本作に対し「いや、ちゃんと筋は通るのだ」とここで言わねばならぬ義理もヘチマもないのであるが、言いたくならざるをえない、少なくともそんなふうに人を触発する刺激を備えている、そう思っただけでこの監督が憎らしくなります▼これまでゲイの映画の定番ともいえる筋書きは、抑圧を受けてきたゲイのカップルがそれを跳ね返し、跳ね返しただけでなくカムアウトして自己のセクシュアリティとアイデンティティを確立する、そういうケースが多かった。しかし本作におけるゲイの、ダイアン(ナオミ・ワッツ)とカミーラ(ローラ・ハリング)という女性ふたりの場合、なんの救いもないのです。カムアウトするとかしないとか、そんなゲイと社会とのかかわりをリンチはばっさり見事なまでに無視しました。そこにいるのは女の愛を失った女だけです。ダイアンとカミーラは映画のオーディションでたまたま出会い、愛しあって幸せだった、ダイアンは女優を夢見てカナダの田舎から出てきた、カミーラも女優志願だった。先に認められたのはカミーラで、彼女は監督の恋人になりダイアンから遠ざかる。カミーラが監督と婚約したばかりか、新しい女とも関係を持った様子にダイアンは絶望し、怒りと憎しみでカミーラ殺害を殺し屋に依頼する。仕事が片付いたときのサインは「青い鍵」がダイアンのもとに届けられることだった。ダイアンは後悔と自暴自棄にさいなまれながら、ある日青い鍵が届いたことで、カミーラの殺害は終わったことを知る。調査に動いていた警察は事件の聞き込みにダイアンのアパートを尋ねるが、ドアを激しくノックする音を聞きながらダイアンは拳銃で自殺する▼これだけの筋書きをダイアンの妄想というに等しい願望、回想、現在というシチュエーションが交錯し、目も彩なシュールな世界をつくっています。夢と希望にあふれてロスアンゼルス空港に降り立ったときの若さあふれるダイアンが、次第に現実に擦り切れて夢を腐食させ、汚いアパートで絶望のうちに死んでいく。愛した女は自分を裏切り、裏切られた自分には生きる気力も愛する力も残っていない、そんな女をナオミ・ワッツがさわやかに、みじめにおぞましいまでに好演しました。ゲイであることが、ヒロインの落ち込んだ地獄を際立てました。ゲイとはもともと多数派の社会から阻害された領域という出発点があります。そこでやっと得た愛を失うことは、単なる失恋物語ではなく、自分の居場所すら見失うに似た寄る辺ない孤独であり自己喪失感なのです。ダイアンの愛したカミーラが死に、カミーラの愛したダイアンは自殺する。この救いのない映画に、やるせない叙情をかきたてているシーンがひとつあります。クラブ「シレンシオ」で歌う泣き女の歌がそれです。「シレンシオ」とは「沈黙」の意味。ダイアンの夢というか妄想というか、空想のなかで組み立てた物語に出てくる劇場です。その歌詞はダイアンの心のなかを読み解く具体的な鍵であり、無残に砕け散った彼女の人生のために涙する歌です。歌は「ゆうべあなたに会ったとき/わたしが取り乱さなかったから/あなたはわからなかったのね/あなたを思って泣いていたことを/あなたはサヨナラを言って/わたしを置き去りにした/わたしはひとりで泣いている」女はとめどなく歌い続けます。「ただひとり泣いている。なぜなのかしら/あなたに会っただけでわたしはまた涙にくれる/あなたを忘れたと思っていたのに/以前にもましてあなたを愛している/でもわたしは何ができるの/あなたの愛は冷めてしまった/だからわたしは永遠にあなたを慕って泣き続けるだけ」かくも恋々とした歌にたっぷり時間をかけて始めから終わりまで劇中劇のように聞かせる。デヴィッド・リンチとは鬼面よく人を驚かせる、変態的なまでに屈折した映画をつくりますし、それが彼の脱通俗性の基盤になっていますが、それだけの作家だと「エレファント・マン」や「ストレート・ストーリー」や、まして「マルホランド・ドライブ」のこのやりきれない、それでいて目を背けることのできないせつなさ、人が生まれながらに持っている魂の歪みや暗い海のような叙情を、決して伝えられなかったと思えます。

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