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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年3月12日

特集 LGBT-映画にみるゲイ55マイ・サマー・オブ・ラブ(2004年 ゲイ映画)

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監督 パヴェル・パヴリコフスキー
出演 ナタリー・プレス/エミリー・ブラント

悪い女にひっかかっておいてよかった

前半を過ぎたあたりから、どうやって着地させるのかなと思っていたけど、あ、そう。ゲイ映画にこういうどんでん返しが使われるようになったのね。ゲイ特集で映画史100年を大雑把に見渡しながらぼちぼち書いてきたけど、20世紀半ば以後のゲイ映画では、マイノリティへの抑圧と差別と迫害、それに対する主人公の生きる姿勢というところが主だった、90年代後半は発信力の強い明るい、屈託のないゲイ映画が現れ、主人公たちは自分のセクシュアリティに迷うこともとらわれることも、隠すことも少なくなり、人が人を愛するのに、とやかく言う権利などだれにもないだろ、いっしょにも暮らすし結婚もすると、肩肘張らず表明するようになった、少なくとも映画の世界ではそういう関係が多く、ほとんどは愛する者同士の強い結びつきがテーマであって、本作のような残酷な裏切りを扱った映画は、不明にしてなかったように思う。ゲイ映画も多様な側面をみせるようになってきました▼ヒロインふたりの出会いのシーンが秀抜だ。北部イングランドの、ともすれば荒涼とした田舎の砂利道。バイクを押して歩いてきたモナ(ナタリー・プレス)は、バイクを置いて草むらで寝転がる。白い雲の浮いた空。視界に入ってきたのは白馬。逆光を背に騎乗するのは長い髪の少女だとわかる。「名前は?」と少女はきき、自分は「タムジン」だと名乗る。夏の間だけ家に帰っている、暇なら遊びにきてといって少女は格調高い屋敷に入っていく。タムジンお嬢様は白馬に乗って登場。モナはエンジンのないホンダの中古バイクを押して。モナがタムジンの家を訪問したときふたりの格差はますます明らかになる。テニスコートのある広い庭、緑に囲まれた敷地、格式ある洋館のたたずまいに古式ゆかしい家具調度や装飾画、おそるおそるモナが階段をあがっていくとタムジンはチェロを練習中。弓を止め「サン・サーンスの白鳥よ」モナは「うちも白鳥よ、パブやってたの。今は伝道所になったけど。兄は神の教えを啓蒙啓発にかかりきりで、いらいらする」「お兄さん、イカレちゃったの?」「出所してきたとき既にね」「刑務所に、なぜ?」「窃盗、強盗、ケンカ」「ご両親は?」「父の顔は知らない。母はガンで死んだわ」タムジンは姉がいたが拒食症で死んだと打ち明ける▼ふたりは広い庭に出ておしゃべりをする。タムジンが聞く。「ニーチェ、好き?」「なにそれ」「哲学者よ。彼によればこの世には成功を約束された特別な人間がいる、その他大勢はどうでもいい、シェイクスピアとかワーグナーがそうよ。お兄さんみたいな偽物はダメよ」タムジンは刑務所あがりのパブの亭主がいきなり神を説いて(プッ)という侮蔑がこもっている。「将来どうするの」とモナに聞く。「弁護士になるわ」タムジンの目にチラッと嘲笑がうかぶ。モナはみてとり「屠殺場で働く。働きまくる。ろくでなしと結婚し子供をバンバン産む。問題児ばかり。あとはババアになるだけ。もしくはガンになる」痛々しいまでに自虐的な凄みのある回答だ。ふたりはワインをがぶがぶ飲み、モナは気がつくとテニスコートの土の上で眠っていた。タムジンはいない。時刻はすでに夕方であたりは冷え冷えしている…帰り際に窓から夕食のテーブルを囲むタムジンとその父と母がみえた。タムジンはモナを起こしもせず、風邪を引くかもしれない場所にほったらかしにして、自分はホイホイ家に入ってメシ食っている。ここのシーンを覚えておくとあとで納得がいきます▼ふたりはタムジンの家でひんぱんに会うようになる。タムジンのあこがれはエディット・ピアフだ。CDで「群衆」をかけタムジンはモナを大胆に誘い踊る。モナの家に車で迎えにきたタムジンはモナを乗せとある住まいに来る。「ここ父が愛人と住んでいるの。女優もどきのママは公演のツアーばかり、姉は拒食症で死にパパは秘書と多忙。わたしは孤児同然よ」。モナはその夜タムジンの家に泊まる。姉の部屋は気色悪いだろうから自分の部屋で眠ればいいといわれ、同じベッドでその夜はおとなしく寝た。翌朝である。タムジンは朝食のトレーをモナのベッドに運んだのだ。(うわ~)生まれて初めて経験するお姫様のおもてなし。「今日の予定は?」と聞くタムジンに「タムは?」と聞き返す。「エンジンを買ってあげる」バイクに二人乗りして田舎道をぶっとばし、モナは自分の「指定席」という見晴らしのいい丘にタムを連れてくる。このときだったかな、ふたりが初めてキスしたのは。その夜本格的に抱き合うのだけどタムは覚めている。「セックス好き?」「イクのが」とモナ。「なにそれ」モナは説明しにくそうに「男がいて、つきあっていたの。大人の男のことよ。わかる?」「その男とどうするの」知りたいというのでモナはひと通り体で教えるのだが「それだけ?」とタム。「今もその男が好き?」「全然」「なぜ棄てたの?」「棄てられたのよ」モナは正直だ。「面倒くさいっていわれて。奥さんも子供もいるしね」タムはムクッと体を起こし「その男サイテーね。思い知らせてやる」お嬢さん独特の、わがままでこわいもの知らずのタムは、翌日モナに案内させ男が家から出て行くのをみとどけると、つかつかと奥さんを呼び出し「突然ですが。友人のモナが妊娠しました。ご主人の子です。失礼ですがセックスにご不満があるのでは?」叩きだされる前にふたりは飛んで逃げるのだが、モナは嬉しかっただろう▼夏とともにふたりの関係もすすむ。この映画、あんまり過激なベッドシーンやキスシーンはないのです。成熟していない少女たちの、いかにも幼いラブシーンです。ですがそれでもだんだん関係は濃くなっていく。森のなかの闇。焚き火の前。タム「わたしたちずっといっしょよ。聞いてる? 離れたら殺すわ」モナ「離れたら殺す。そしてわたしも死ぬ」夜が明ける。モナが森でクロスグリを両手にいっぱいとってくる。「ポケットにもあるわ」「それだけで朝食にならないわ。お腹がすいた。凍えそう。虫もいる。帰りたい」昨夜燃え上がった情熱のわりにタムは不機嫌そうだ。モナはさからわず「じゃ戻ろう」やさしく言う。兄はタムが危険な女だと再々妹に忠告するが妹はうけいれない。タムの家にいりびたりの妹を迎えにいった兄を、タムはやすやすと誘惑する。兄は自己嫌悪に陥り伝道どころではなくなった。集まった信者に暴言を吐き追い返す。部屋に閉じ込められたモナは自殺を試み、動揺した兄の隙をみて身の回りのものをトランクに詰め家を出る。「タムと町を出るわ。二度と戻らない」▼タムの屋敷にきたモナは父親が一階で新聞を読んでいるのをみかける。二階のタムの部屋にきた。ママがいて(どなた?)というふうに「タミー」娘を振り返る。制服を着て椅子に座っていたタムはモナをみつめ「学校に戻るの」。普通なら夏休みが終わったから学校に戻る、それだけのことだ。しかしモナにとっての意味は違う。呆然としたもののモナはすべてを悟る。足早に屋敷を出ようとする。玄関で「ちょっと」と呼び止められた。美しいタムに似た少女が「それ、わたしの服よ。返して」というではないか。タムの姉は拒食症で死んだのではなかったのかよ! おまけにたいした夏服でもないのに返せってセコイぞ▼森の泉にモナはひとりでいる。タムがやってくる。言い分はこうだ。「戻るしかないのよ。わたしママの前では別人なの。いつも役を演じているだけ。これがわたしよ。姉のことはごめんね。わたしって夢想家なの。あなただって楽しかったはずよ。こんな友達初めて。お願い、怒らないでね」モナは返事をせず着衣のまま泉に入っていく。タムもついて入る。会うことなんかもう二度とあるものか。激しいキスをかわしながらモナはタムの首を絞め水に漬ける。溺死寸前に手を放したモナに「アンタなにするのよ、このバカ女」これが「離れたら殺す」と言ったタムの別れの言葉だ▼タムにしたらモナは、両親を失い刑務所から出た兄は神の教えに頭を焼かれ、なんの後ろ盾もない無力な女だった。貧しく学校もろくにいかなかったモナの前で、タムは自分の描くイメージを演じて楽しんでいただけなのですね。もともとモナを大事にしてなんかいない。冷え冷えするテニスコートに放ったらかしにするくらい平気だったわけよ。モナもかなり無軌道な少女だが悲しいかな、タムを愛してしまったから主導権を完全に明け渡していた。より多く愛するほうがより多く傷つき負けると言ったのは三島由紀夫でした。タムジンは人を踏みつけて優越感にひたるひねくれたやつだが、それがどこから生じているかというと、家庭の中で顧みられない孤独感からです。考えてみればどっちもさびしく、タムにしても心を通わせあうことのできる相手を求めていたのですが、大きな屋敷にひとりでいる想像力豊かな屈折した娘の前に、感情豊かな、でも傷つきやすい少女が現れ愛を捧げた。モナの無防備なまでの愛情にタムの加虐性が暴走しました。兄は肉親のカンで妹の破滅がわかったのでしょうね。立ち直るのはなかなかだろうけど、そうだなあ、こんな目にあいながら人はだれの世話にもならず生きていけるようになる。それに、若いうちに悪い女にひっかかっておいてよかったと思えるときがくるよ。元気だしな、モナ。

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