女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年4月2日

特集 LGBT-映画にみるゲイ76
キッズ・オールライト(2010年 ゲイ映画)

Pocket
LINEで送る

監督 リサ・チェンデンコ
出演 ジュリアン・ムーア/アネット・ベニング/ミア・ワシコウスカ

社会の支持

 ゲイのカップルが法的にも結婚して家庭を持った、娘と息子がひとりずつできた、ママのひとりは医師、もうひとりは脱主婦してガーデン・デザイナーをめざす。娘は大学に受かり一週間後に家を出て寮に入る。息子は高校生。「ウーマン・ラブ・ウーマン」の第三話で、シャーロット・ストーンがエレン・ジェネデレスに言いますね「わたしたちの子は母親が二人いるといっていじめられないかしら」。エレンが「かもしれない。でもいつまでも今といっしょじゃない。時代は変わるわ」と答える。ホントこの映画は「時代は変わった」ことをつくづく表しました。二作の間に流れた時間は10年。一世代とはいえゲイ社会の性的アイデンティティの確立と安定という点では大きく社会は様変わりしています。本作の設定でみる限り、子供たちは他の家庭と異質な親の形を不自然なく受け入れすくすくと育ち、いじめられてもいない。円滑な家族の光景がテーブルを囲む食事の団欒によく出ています。本作は食事のシーンが大事な役割を果たします。ただ娘のジョニ(ミア・ワシコウスカ)が「ママたちの期待に応えたわ、成績は優秀で志望校はみな合格したわ」とムキになって言うところは、子供心にもゲイ家庭の子だからと、後ろ指をさされたくなかったという反発といじらしさがありました▼ゲイが社会的に特殊化された存在から脱し、ゲイの主張と権利擁護が同性婚へシフトしてきたことはいいことだ。しかしそれでもってほぼ予定調和とでもいえるこの映画の結末を、とんがったものにしたのはアネット・ベニング扮するニックの存在だろう。ゲイとはあくまで同性同士の愛情関係であり、異性の介入は排除された部分でなりたち、また異性の介入によって壊れやすいものでもあるからだ。少なくとも本作のニックはその危険性を熟知している。彼女がジュールズ(ジュリアン・ムーア)に対しなるべく仕事をもたさず専業主婦で家におきたがり、のちにそれを「わたしを支配したかったからでしょ」とジュールズは指摘するが、支配というより外敵(この場合男)にふれさせる機会逸失を狙ったものだろう。しかるに子供たちは好奇心から遺伝子上の父親に会う。姉はそんなことママたちに悪いからやめようというが、弟は興味が優先する。そこでとうとう父親つまり男の存在が入ってくる。歯車が狂いだし、いわゆる「家族崩壊」の危機に瀕するのは図式通りだが、それが陥る退屈を一蹴したのは、やはりアネットの非凡な演技だったと思える▼ジュールズは子供たちの父親ポールが現れたことで、彼と関係をもってしまう。ポールを敵視していたニックはそれでは頑なすぎると反省し、彼となじもうと努力するが、ポールの家に招かれ浴室でジュールズの髪のからまったブラシ、浴槽の排水口に落ちている髪の毛をみてすべてを悟る。18年にわたり支えあってきた関係は男ひとりで崩れてしまった。それを知ったときのニックの表情は嘆くでもない、泣くでもない。目の前から過ぎ去るなにか、消えていくなにかを見送る目である。ジュールズの言い分は自分は仕事がしたかったがニックがいやがった、でも自分も社会で認められるなにかがしたかったと訴える。それと裏切るのとはちょっと問題がちがうだろ、と思うがとにかく一悶着あって、後悔したジュールズはよりをもどそうとする男の電話を叩き切る。思いきれないポールはジュールズの家を訪ねるが「あなたは侵入者よ」とニックは怒鳴り追い払う。ポールにしても独身でジュールズと趣味があったとはいえ、こうなって喜ぶ人はだれもいないのだからね、どっちもどっちですね▼身から出た錆でジュールズは涙の懺悔。子供たちも思わぬ展開に(どうしたものか)という感じだったが、娘は念願の大学生活のために親元を離れる。車で8時間の距離を、荷物を積んで送っていったママふたりと弟は別れ際にハグして家族の絆を確かめ合う。やっぱりホームドラマだったのかよ、とはいうまい。ゲイの両親が子供を育てる渦中で生じる悲喜劇は「クローズして苦悩するゲイ」を卒業したゲイ映画のテーマのひとつとなりつつあるのだ。400万ドルの制作費で3400万ドルの興行収入という観客と社会の支持がそれを裏付けている。

Pocket
LINEで送る