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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年4月6日

特集 LGBT-映画にみるゲイ80
彼女が彼女を愛する時(2004年 ゲイ映画)

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監督 リー・フリードランダー
出演 ロビン・グリーンスパン/レイシー・ハーモン

「どこにでもある風景」のきらめき 

 監督がリー・フリーランダーときて、彼の写真を知っているなら、この単純極まる映画の構成に張り巡らされたアートのたくらみがピンとくるはずと思えます。フリードランダーは20世紀後半を代表するアメリカの写真家で、コンポラ写真の第一人者。ニューヨーク近代美術館が1000点に及ぶ彼の写真を買い上げました。コンポラすなわちコンテンポラリー写真とはどこにでもある風景を写したようなスナップが、社会の断面を構築する鋭い表象になっている写真。女性写真家ダイアン・アーバスもそのひとりでした。フリードランダーは同性愛の女性ふたりを特殊視せず「どこにでもある風景」としてとらえながら、その複雑な彼女らの内面の劇をきらめきとして写しだしました。主人公のロビンとレイシーは本作の脚本を書き本名で出演している本人たちです。能舞台のような簡素なスタジオにすわり、自分の番になったらしゃべる。こんな殺風景なドキュメンタリーのどこが面白かったのか。一言で言えばヴァーヴァル(言葉)です。彼女らの語りがスタイリッシュの極みなのです。スタンダップ・コメディアン=ひとりで舞台に立ち観客に向け話術のおもしろさで笑わせる芸。政治批判や人種差別などシャープな問題を扱う=であるロビンのナレーションが卓抜です。受けるレイシーのぶっきらぼうな口調にまた味があり、うちのめされるほどよくできた、考えぬかれたセリフを軽々と流す。ロビンとレイシーがそれぞれの恋人との仲を清算し、あらためてお互いと結ばれるまでのプロセスをひとりトークと回想シーンで再現しました。彼女らの声と表情がないと文字だけではわかりにくいかもしれませんが、セリフの洗練度はつかんでいただけると思います。基本的にひとりずつ交代交代に喋っています▼ロビン「すべては順調だった。6年間続いている恋人。家にはペットの犬と猫。気のあう仲間。お気に入りのレストラン。投資するお金。喧嘩したとき用の部屋。人生設計はできあがっていた。でも彼女に会った」。レイシー「わたしのルールはこれだけ。毎日水を飲む。母の電話は翌日までに返す。面倒な人とはかかわらない」彼女らはクラブの舞台に出演していた。ある日演出家が恋人同士を演じてくれと依頼してきた。ふたりは応じる。ロビン「わたしにはオードリー(恋人)がいてずっと一緒にいられると思っていた。彼女は結婚式の曲を選んだり、精子提供者の候補者と会ったりふたりの理想の家を描いていた。オードリーは出演に反対した。稽古に時間がとられることや濃厚なキスシーンを心配した。ディープは禁止というルールを彼女は作った」。レイシー「コカインをやってよく男にフェラしたけど女のほうが好きだと気づいたの。彼氏がいたけど女の子とダーツして負けたら家に来てと言った。ベランダでキスするには時間が遅いと思ったけどタバコを取り出すまえに彼女の手が伸びてきた。バーで出会ったときからその気になっていたの。バーの出会いは惹かれる。母方の親戚が大酒飲みだったからかも。暗いバーでは現実逃避できるし酔えば理想の自分になった」くどくどした説明はなにもないのに、だんだんレイシーとロビンが身近な存在となってきませんか▼レイシーと恋人キャスは倦怠期です。レイシー「恋の関係が終わりに近づくことを知るのはこういうときだ。クロスワードパズルをジャマされて怒ったり、何日もセックスしていないと言われ、火曜日にキスして背中を愛撫したじゃないと答えたり。キャスの話す声が聞こえなくなり、無声映画をみているようだった。忙しく動く彼女の口をみながら考えていた。仕事の前にジムに行ってエアロビできるかしら」。最高はここだ。現状打開のためレイシーはキャスと山荘に行く。運転しながら思う「心の声が数カ月ぶりに聞こえた〈今夜こそ大丈夫よね、できるわよね〉わたしの心はパニック状態になった。彼女に触れて期待に応えなきゃ。恋人と山で2日も過ごすのよ…引き返して家でテレビを見ていたかった。自分が大人の女であることが辛かった。キャスがわたしに近づき腕に手をまわすと、窓越しに稲妻の淫靡な光がさしこんだ。このとき思った。自然は彼女の味方だと」レイシーは決死の覚悟でベッドイン。「彼女の体にわたしは慣れ親しんでいた。わたしは自信をとりもどした。この3カ月彼女は不満気で不機嫌だったけど以前のわたしにもどることができた。ベッドボードがきしむリズミカルな音は〈やったぞ〉という凱歌に聞こえた。空はわたしたちのために喜びの涙を降らせ、月明かりはわたしに感謝した。星々は拍手しコオロギも祝っていた。でも聞こえてきた。その声は落ち着いていてハッキリしていた。もう終わり」▼ロビン「セクシーな夢をみたあとその相手に出会うとヘンな気分になるように、わたしはレイシーがどんな服を着ていたか、つぎに会うのはいつか、いつのまにか考えていた。翌日この気持が消えていてくれることを願ったが無駄だった。だめよ、レイシーにはパートナーがいるのだから。稽古のあとのお別れの抱擁はだんだんエスカレートした。ヤバイかも。頭のなかで言い訳を考えた〈これは演技のためよ〉と。ずっと幸せを感じられないできた。レイシーをますます好きになった。オードリーを傷つけずレイシーといっしょにいたかった。母に言った〈わたしゲイなの〉。母は〈ウソでしょ。そんなのケネディの死亡以上の衝撃よ〉…どっちのケネディ? 母は落ち着きを取り戻し、わたしを抱きしめ愛しているわと言った。全世界が受け入れてくれた」。ラストはこうだ。ロビン「帰り道にあった家を覚えている? あなたはわたしに言った〈この家好きよ〉塗料のはげた角の家よ。あれ以来ずっと夢見ていた。あの家で暮らしたいって。ふたりでずっと」。レイシー「だれか住んでいるわ」「そんなこと考えないで」「だめよ。わたし心配性なの。ずっと?」。「…(ロビンうなずく)」。レイシー「未来が見える」。ロビン「ホント?」「ずっといっしょの未来が」「あたりまえよ」。フリードランダーの撮るラストシーンでは「ありふれた日常のどこにでもある風景」がなぜかきらめいてくる。面白い映画でした。それにしても「彼女が彼女を愛する時」というタイトル、直球ズバリ豪速球もいいのだけど、本来ナーバスなこの映画をユーモラスに扱った稀有な感性、もうちょっとなんとかならならんかったったのでしょうかね。

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