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シネマ365日

2014年4月30日

わたしを離さないで (2010年 シリアスな映画)

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監督 マーク・ロマネク
出演 キャリー・マリガン/アンドリュー・ガーフィールド/キーラ・ナイトレイ/シャーロット・ランプリング

冗談じゃないだろ 

 これほど救いのない映画も珍しい。荒涼とした海、灰色の波の打ち寄せるだれもいない浜辺、空と溶け合った水平線。そこは「失われたものが集まる場所」だ。施設でいっしょに育ってきたトミー(アンドリュー・ガーフィールド)を失くし、ルース(キーラ・ナイトレイ)を失くし、自分もまた「提供者」として命の「終了」を待つキャシー(キャリー・マリガン)が海辺にたって沖をみつめ「わたしの命とわたしたちが救った命と、どこがちがうのだろう。どちらも命としてはまったきものではないか」と自分自身にいいきかせるラストシーンは胸がつぶれた。この映画だけは正月にみたくないね▼順を追っていこう。寄宿学校ヘイルシャムに10歳前後の男女児童十数人が学ぶ。緑豊かな環境で子供たちは物心ついたころからずっといっしょに暮らしている。ルースとトミーとキャシーは特に仲がいい。学校は外部とは完全に隔絶。保護官と呼ばれる先生のもとで学科の授業のほか絵や詩の創作に励む。18歳になると寄宿学校を出て、コテージ(農場)と呼ばれる場所で初めて外部と接触する。ハイキングもできる。ルースとトミーは恋を育み、トミーが好きだったキャシーはふたりと距離を置くようになった。やがて彼らはコテージを出て彼ら自身の「提供者」という運命を受け入れていく。キャシーは介護人となった。介護人とは文字通り「術後」の介護である。いま介護人のキャシーは提供者のトミーの手術が始まるのをみている。手術台に乗ったトミーはキャシーを認めてかすかに笑った。彼はすでに片肺を摘出する大手術を受けているのだ。二度目の手術が「終了」となることはキャシーにはわかっていた▼冒頭こんな字幕が出る。「1962年画期的な医療法が確立され、1967年イギリスの平均寿命は100歳を超えた」だからこの映画はもちろんフィクションだ。ここから語られる「画期的な医療法」が臓器移植であり、移植のための臓器を提供するクローンが造られ、クローンは隔絶された「学校」の規律正しい健康管理のもとに養育を施され、18歳になると、需要に応じて臓器を摘出されるのである。摘出する臓器にもよるが、一度で終了、つまり提供者は死ぬときもあるし、ふつう二度、三度と臓器を取られ、たいてい四度目で「提供」の役目を終了する。まれに四度目でも生き残っていても、ほとんど利用され尽くした肉体は弱り切っていて、通常の生活に耐えられないが、特に手当をしてもらうわけでもなく、放置されたまま死ぬ。彼らクローンは食肉用に生育される家畜といっしょで、臓器提供のためつくられ提供し終えると役割を果たし「終了する」。提供は一度から四度となっているのは、たとえば一対になっている目、眼球、角膜、腎臓、肺などは一方だけの手術だと生き残れる、ひとつしかない肝臓でも部分移植だとまだ耐えられるかもしれない、しかし肝臓の全摘、両肺、心臓となるともう生きておれない。劇中ルースの摘出シーンがあるが目をそむける。外科医は(外科医ですらないかもしれない)無造作にヨーチンを腹に塗り、魚でも開くようにメスをいれると両手を突っ込んでズルズル肝臓を引き上げるのだ。ルースの体に処置した吸入器も点滴もそのままにして、肝臓はジェラルミンのアイスボックスみたいなものにいれられ、医療スタッフは手術台の提供者には一顧も与えず退出する。ルースの目も閉じてやらない。文字通り提供者は打ち捨てられるのだ▼ヘイルシャムの校長先生(シャーロット・ランプリング)は、この学校は特別であると強調する。思うに彼女を始めとする学校の職員たちにはそれなりの倫理観があって、たとえクローンであっても人として生まれた以上、魂も心もあるという見地から、授業には絵も工作もスポーツの時間もある。いわばクローン人間増産推進派のような教育者である。ルースは最後の提供の間際、トミーとキャシーに「マダムの住所を聞き出したからそこへ訪ねていくのよ。嫉妬からあなたたちの仲を裂いたせめてもの償いよ。クローンでも愛しあっていることがわかれば〈提供〉を延期してもらえることがあるの」と言い残す。マダムとはヘイルシャムの運営者だ。ルースは死に、トミーは一回目の〈提供〉で脇腹に大きな肺の摘出手術の跡がある。不自由な呼吸でぜいぜいいいながらふたりははるばるマダムの家にたどりつくが、そこで明らかになったのは延期などただの噂でそんなもの、一度もあったためしがなかった▼トミーも死んだ、ルースも死んだ、一ヶ月後には自分も提供者になる。ヘイルシャムは閉鎖された。キャシーは「失われたものの集まる場所」と呼ばれる場所に行く▼学校でこどもたちに「あなたたちは臓器を提供し他人の命を助けるためにつくられた存在」ということをばらした先生は解雇されちゃう。してみると本当のことは知らされないまま、彼らは生まれながらに「提供するべき存在」ということを刷り込まれ、だれも抵抗しないのでしょうか。ちょっと不自然だと思うのだけど、そんなことにおかまいなく映画のなかではどんどん臓器が除去されてしまう。冗談じゃないだろ。医療法ですって。人間いつかは死ぬのだ。100歳まで生きてヨレヨレなって、親しい友だちも好きなやつも、話しのあう仲のいい相棒もどんどん少なくなって、自分だけ生きていてなにが楽しい。クローン医療など犬にでも食われろ。切ないばかりに短い一生を「わたしの命も、わたしたちが助けた命も、命は等価なのだ」と明晰な認識のもとに運命を受け入れるクローン(キャシー)のほうが、平均寿命100歳に血道をあげる生き方より、よっぽど純度の高い燃焼のように思えた。

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