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特集「過剰な女たち」

2014年5月18日

特集「過剰な女たち」 ダイアナの選択 (2007年 シリアスな映画)

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監督 ヴァディム・パールマン
出演 ユマ・サーマン

「良心」というどんでん返し 

 映画がわたしたちを魅了するのは、わたしたちが日常生活で見聞してきたことが忠実に再現され、それらを再体験しているような錯覚を喜ぶからだ。再体験の臨場感とはそもそも映画の重要なファクターである、というような周辺事項をいつまで書いていても「ダイアナの選択」の中核には至らない。至らないけれどもそんなことをくどくど並べるよりほかに、どう書けばいいのか頭をかかえるのがこの映画だと思ってしまう。たしかにね、プルーストは「真の発見への旅は、新しい風景を探し求めることではなく、新しい見方を持つことにある」なんて言っていますよ(「小説家と美術批評家」)。その見地からいえば、これはとても新しいとらえかたかもね~。ネタバレさせても全然大局に影響ない映画ってあるのだけど、本作ばかりはちょっとまずいな。推理小説を読みきる前に犯人をばらされて全然おもしろくなくなる、という程度じゃないからね。結末がわかるともう、呆気にとられるというか、あいた口がふさがらないというか、どう言っていいかわからない虚無感にどっぷり浸ってしまう、そんな映画だからやっぱり、つつましくこの映画に寄り添うことにする。それがヒロインの出した結論「もしここでそんなことをしたら自分は生きる資格がない」という厳しい判断に応える礼儀だと思います▼コネチカット州の小さな町ブライアー・ヒル。地元の高校に通うダイアナ(少女時代=エヴァン・レイチェル・ウッド)とモーリーン(エヴァ・アムリ)。母親とふたり暮らしのダイアナはつねに反抗的で問題ばかり起こし、母親は学校に呼び出されてばかりいる。モーリーンは優等生。正反対のふたりだが親友同士だ。高校の同級生のマイケルが学校で銃を乱射し無差別に教師・級友を殺傷する。トイレにいたダイアナとモーリーンのところにマイケルが銃をかまえて入ってきて「どっちを殺す」と聞く。モーリーンが「どうしても殺すならわたしを殺して」。ダイアナはモーリーンの指を握り「殺さないで」。マイケルがダイアナにさらに聞く「お前はどうだ」。ダイアナは応える「死にたくない」そう言ってモーリーンの指を離す。マイケルはさらに「じゃあ、だれを殺すのだ」▼15年後の同じ町。ダイアナは美術の教師になり夫は大学の哲学科教授。娘に恵まれ名前はエマ。性格はダイアナ似で学校からすぐ呼び出されるが、ダイアナはいつも教師の批判に言い返す。「エマはいい子です、そんな子じゃありません」。現在と15年前のシークェンスが頻繁に入れ替わり、徐々にダイアナの傷が明らかになっていく。モーリーンと過ごした思い出がよみがえる。自分をかばい励ましてくれた友達。自分の選択はあれで正しかったのか▼回想に部分に(おや)と思う意外なシーンがいくつもあります。最後にそれらの意味がわかるのですが、さしさわりのないところでいえば、夫が若い女子大生と浮気しているにちがいない、ダイアナは動揺し車にはねられ救急車で病院へ。ストレッチャーの上で気づくと白く覆われた腹部にみるみる血痕が広がる。ダイアナの罪悪感とトラウマはなにがあってもすぐ15年前の悪夢に彼女を呼び返す。心の平安はない。疲れきってキル・ビルのあとかたもなくなったユマ・サーマンの顔。いくつかの「?」はあってもわりと素直にダイアナのことをわたしたちはこう思うのですよね、過去から逃れられないダイアナ、心の平安を一生失ってしまったダイアナ、彼女は夢の中でさえつぶやく「生きる資格はない」▼ネタバレさせない結論としては、こうとでも言うしか他に思いつかないのだけど、スクリーンを通して叙述される、彼女の良心の呵責って過剰すぎる。一瞬のためらいがあったからって、そこまで自分を責めなくていいだろ、ダイアナ。ダイアナは庭の花を切り、高校の追悼式に出席しようと避けていた銃乱射事件の現場にくる。教室、玄関、廊下。犠牲者たちの倒れた場所に一輪の花をたむけていく。そしてトイレにきた。モーリーンがいた、自分がいた、マイケルが入ってきた…そして「生きる資格はない」と自分に言った本当の意味が明らかにされる。それがわかったときダイアナのあまりにストイックな選択に泣いちゃいますよ。彼女は追悼式の日、花束をかかえて学校にきて、受付の女性にこう聞かれます。「生存者の方ですか」ダイアナは答える。「いいえ」▼ヴァディム・パールマンの映画ってこんなのが多いですね。多いと言っても本作と「砂と霧の家」しか見ていないけど。あれも悲痛な映画だったな。本作のキーワードのひとつにコンシェンス(conscience=良心)があります。良心とはだれが裁くものか。この映画はそれに対するダイアナの答えのようにも思います。それはそうと肝心のモーリーンはどこへ行っちゃったのよ。途中で掻き消えるようにいなくなる、これも本作のカギのひとつです。ノーリーンを演じたエヴァ・アムリ。スーザン・サランドン(「テルマ&ルイーズ」「デッドマン・ウォーキング」)の娘でして、まるっきり母親そっくりでした。

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