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特集「過剰な女たち」

2014年5月24日

特集「過剰な女たち」 バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲 (1997年 アクション映画)

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監督 ジョエル・シュマッカー
出演 アーノルド・シュワルツネッガー/ジョージ・クルーニー/ユマ・サーマン

いかれたユマに花束を

 クレジットのトップはシュワちゃんだったけど、この映画でいちばんトクをしたの、ユマ・サーマンね。名だたる男優陣のなかでただ一人の女悪役。まともなことばかり言っている退屈なバットマン(ジョージ・クルーニー)や実験中の事故で妻は植物人間に、自分も冷凍状態でないと生きられなくなったドジな男、ヴィクター博士(アーノルド・シュワルツネッガー)らを相手に、断固ジコチューを貫く。女がいったんこうと思い込んだら怖いと思うか、だから女はアホだと思うか、受け止め方は多々あろうが、その信念と過剰なる反逆精神において、本作のポイズン・アイビー(ユマ・サーマン)の右にでるオモロイ女がいるか。このときユマは27歳。それからざっと10年後またもや「G ガール破壊的な彼女」なんておバカ映画に主演するのだから、ユマはイカレタ女と相性のいいところがあるのだ。そういや「キル・ビル」だってあれがまともな女かよ。逸脱好みにかけては悪役好きのシガニー・ウィーヴァーといい勝負だな▼アイズリー博士(ユマ・サーマン=ドクター・ポイズンに生まれ変わる。大きなメガネをかけ、よごれた作業着。茶髪にボロ布をターバンのように巻き、手にはゴム手袋。青いテントから這い出してきたような生物学者)が、目をぎらぎらさせながら必死の形相でなにやらひとりごとを言っている。聞いてみよう。「花のランとガラガラヘビをかけあわす実験は失敗。でも動物と植物の交配はあきらめないわ。毒液さえ正確に配合できれば植物は動物のように戦えるようになるのよ。自然界を甘くみるのは失礼だわ」自分の研究を盗もうとする学者、ウッドレー博士に彼女は主張する「わたしの研究は植物を絶滅から救うためよ。あなたはそれを世界征服という計画に悪用して台無しにしてしまった。許さないわ。このサイコ野郎」。ウッドレー博士は無敵の生体兵器を開発中なのだ。頭蓋骨にチューブを打ち込まれた男は、スペシャルレシピで開発した血清により筋肉を増強するはずだったが、動植物の毒素のためにユニークな怪物に変身した。実験室が爆発した刺激で頭でも打ったのか、アイズリー博士が「血液はアロエエキスにお肌は葉緑素いっぱい、唇はいつも毒液でヌレヌレ。あたし、ポイズン・アイビーなの」ひょろ長い体をくねくねさせ妖艶に登場。野暮でズタボロのアイズリー博士はかき消え「わたしは大自然の精神であり意思であり、母よ。植物が本来の世界を奪い返すときがきた」な、なにを言い出すのだ。ユマが意見を異にするバットマンに「地球は人類の母よ。守る義務があるわ。このままでは人間の所業をみている植物たちが、地球を奪い返す戦いを始めたとき、人間を守る者はいない。あなたたちは植物を弾圧する側の戦士よ。環境を破壊する人間どもの守護神なのね」とあのちょっと下唇のでた受け口と低めの声で、ニコリともせず立板に水のように流す。なんでもないようだが出演者のなかでいちばん長い台詞をらくらくこなす▼マレーネ・ディートリッヒへのオマージュがあります。ディートリッヒは自作の中でも「ブロンド・ヴィーナス」が気にいっていた。夫に離別され息子も取り上げられ、売春婦に身を落として流れ歩いたヒロインが、場末のダンサーとなり「ブロンド・ヴィーナス」という名で帰ってきた。彼女が初めてステージに出るシーンだ。ゴリラの着ぐるみをきたディートリッヒが、毛むくじゃらの腕をスポッと外すと、白い長い腕が現れる。音楽に合わせもういっぽうの腕をむきだしにする。最後に全身が現れる。ディートリッヒを知り尽くした監督、ジョセフ・フォン・スタンバーグが考えぬいた見せ場だった。本作でもユマがスポンと腕の部分の着ぐるみを除く。なんとなくユマとディートリッヒは感じが似ている。ときどき見せるとろんとした目つき。なにも考えていなくても深い思索にひたっているようなトクな雰囲気。ディートリッヒは非常な努力家で、仕事とともに男女不問の情事に忙しかったが、娘の世話と料理が大好きな一面があった。ユマはどうか知らない。しかし彼女のツルンとした爬虫類のような顔や、素麺のような肢体や脚や腕や、面倒くさそうにしゃべるしゃがれ声には「メン・イン・ブラック」の地球外生物みたいなところがあって、どっか笑ってしまうのだ。その彼女がポイズン・アイビーだからいうことはない。事実ユマが登場するとポイズン・アイビーの大真面目なばかばかしさが映画を華やかにしている▼劇場でみてから17年たってこの映画を見ると、やりたい放題、いいたい放題のポイズン・アイビーのような女を悪役にせざるをえず、世の中はフォーマルな正義の味方、すなわちどこからみてもまともな男と女が守っていくべきものだという、この物語の終わり方がいちばん古く退屈になっている。監獄に閉じこめられ花びらをむしりながら「愛している、愛していない、愛している、愛していない」と占う、いかれたポイズン・アイビーがどこか可愛く、花束をもって訪いたくなる。いちばん親近感と友情を感じる。

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