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特集「過剰な女たち」

2014年5月27日

特集「過剰な女たち」 ウォッチャーズ (2009年 サスペンス映画)

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監督 モーガン・J・フリーマン
出演 ミーシャ・バートン

もっと狂うべきだった 

 「翼をください」(2001)で転校生〈マウス〉を演じたのがミーシャ・バートンの15歳のとき。同室の女の子たちの同性愛に振り回されず、さりとて冷たく見るわけでもなく、適切な距離を保って彼女たちと打ち解け、落ち込んだ女生徒(これがパイパー・ペラーボで、自殺する激情家を大きな口で好演した)を励ます、やさしく冷静な対応がとてもいい感じだった。母親の思い出のためにもと庭師のおじさんの助手になり、土いじりをする内省的な思春期の女の子がすがすがしかった。とはいえスクリーンで演じたイメージはしばしば逆転するのが輪廻転生の常なのか(ちょっと大げさか)それくらい期待した「お気に入りのミーシャ」がすっかり変わっちゃって(ンもう。なんだよ、これ)って感じ。本作は映画そのものとしては、そうむちゃくちゃ悪くはないですよ。お定まりの筋だけど、くねくねとわりと作り込みのいい運び方で、途中でトイレにいったりもせずちゃんと見ておれる。でも「ミーシャ、お前が出る必要ないだろう」っていってあげる必要を感じてしまうのですな、つい▼子役出身で子役の年齢を過ぎ、大人の女優になる難しい過度期を乗り切った女優がいる。確かにエリザベス・テイラーもそうだったしジョディ・フォスターもそうだった、ちょっと停滞はあったものの「E.T」のドリュー・バリモアも「レオン」から「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンも「乗り切り組み」だろう。残念だけどつぎのステップをふみはずした「圏外組み」は「ホーム・アローン」のマコーレー・カルキン、ぶくぶくのおじさんになった「ターミネーター2」のエドワード・ファーロング、「シックス・センス」のハーレイ・ジョエル・オスメントらがいる。しかしこの女優の目を剥きそうなサクセスぶりはどうだ。「ハリポタ」シリーズのハーマイオニーことエマ・ワトソンだ。米国のエンパイア・マガジンが選んだ「2013年最もセクシーな映画俳優100人」のトップは、スカーレット・ヨハンソンやオスカー女優のジェニファー・ローレンス、アンジェリーナ・ジョリーやゾーイ・ザルナダをおさえエマ・ワトソンだった。「お気に入りのミーシャ」はどうか。ええ、堂々ランクインしていますよ、イギリスの男性向けサイトのアンケートによる「最もセクシーじゃないハリウッド女優」の6位に。「セクシーでない女優」とは、トップがクリステン・スチュアート(「トワイライト」シリーズ)2位にサラ・ジェシカ・パーカー(「セックス・アンド・ザ・シティシリーズ」、ふうん、ヒラリー・スワンクやルーシー・リュー、ユマ・サーマンに、おおティルダ・スウィントンさま。ティルダやユマになると完全にユニ系ですからね。セクシーだけがいい女優じゃないことがわかったってことよ、この結果は▼ミーシャだって13歳で「シックス・センス」に出演しているのだけど。しているのですがエマ・ワトソンの飛ぶ鳥落とすような勢いとなんたる違い。どこでこうなってしまったのだろう? 得られた限りの情報で考えればエマの私生活と経済の安定に比べ、ミーシャの不安定が歴然。エマは莫大な収入を代理人が管理、一生食べるにこまらない資産をつくったうえで出演作品を吟味し「恋人は?」の質問に「男性は女性のほうがお金持ちなのを嫌うから難しいわね」それなりの力量ある男を選ばなくちゃ、と言っているのと同じね。比べてマーシャはだれかれと付き合っているとか別れたとか、婚約したとか、左指の指輪はファッションだとかヘチマだとか、気の毒なくらい話題が低いわ。本気で女優やっていくなら、自分の肥やしが最も必要な20代で、ひとりやふたり男がいるのは当然としても、それで「男ボケ」しているヒマあんのかよ。波打つブロンド、均整のとれた肢体、ミステリアスな瞳にもの静かな冥さがただよう口元、黙っているのが似合う奥行きは、キワモノを選ばなくてもじっくり仕事すればもっといい女になるはずだ。美人がいい女優になれるとは限らないが、雰囲気のあるいい女はいい女優になれる要素がある。でもこのままじゃ難しいぜ「お気に入りのミーシャ」▼粗筋ね。ペンシルバニア州の田舎町で高校のフットボールの花形だったマイクはいまも町の人気者。ある日恋人を連れてクリスマスに帰郷した。町には昔の恋人シェルビー(ミーシャ・バートン)が親から受け継いだダイナー兼居酒屋を経営していた。長い介護のあと母親は死に、借金だけが残ってシェルビーは銀行から矢のような返済の督促を受けている。そこへ元恋人が帰ってきた。しかも恋人を連れて。恋人はなぜ自分じゃいけないのだ。自分が大学に進学できなかったのは母親を看なくちゃいけなかったからだ…マイクの恋人は自分であるはず、あの女はまちがっている。シェルビーのアタマのなかではそうなる。旧態依然として親の面倒をみるのは娘で、さんざん苦労して親を介護しているうちに男はべつの女に乗り換え、棄てられた女がクレージーになって復讐する。むかむかするほど図式的なこの退屈な映画に、刺激があるとすればイカレ女のシェルビーのサイコかつシュールぶりをとことん演じることだってことが、ミーシャ、君はわかっているのか。わかっているにしたら平坦すぎる、大女優が試金石とした、ベティ・デイビス級の憑き物のような女に狂うべきだった。そうすれば君が今くだらないことに浪費している、鬱々とした「女」がはじけたのによ。

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