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特集「過剰な女たち」

2014年5月30日

特集「過剰な女たち」 スサーナ (1950年 コメディ映画)

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監督 ルイス・ブニュエル

スサーナの新しさ 

 嵐の夜刑務所から脱獄したスサーナ(ロジタ・クインターナ)がたどりついたのはとある農園。スサーナは虐待する雇用主のところから思い余って逃げてきたと話をでっちあげ、農場主の妻カルメンは同情し家においてやってくれと夫グアダルーペに頼む。夫はしぶしぶ了承するが果たしてスサーナの肉体のオーラはとっくにこのおじさんをとらえている。早い話この農園にいる主だった男三人、農園主にその息子アルベルト、小作人頭ヘススはたちまちスサーナの虜になる。ひとりさめているのが女中頭のフェリサだ。長年同家に使えている彼女にとってアルベルトは息子同様、使用人たちそれぞれの性格も知り抜いている、いわば大奥総取締みたいな存在。彼女はスサーナが疫病神であることをいち早く察知し、すぐ追い出すよう進言するが、のぼせあがった男たちはなにかしら理屈をつけて女を追い回している。スサーナは籠絡の成果に舌なめずりする▼スサーナがカルメンにいいつけられて床を拭いているのを見た農場主は「その仕事は君にはきつい。しなくていい」。ヘススがスサーナを口説いている現場をみてクビ。息子は恋わずらいで食事ものどを通らず、心配する母親に、声を荒らげて反抗し、だんだん家の中はおかしくなっていく。スサーナだけが上機嫌だ。ヘススをクビにした農場主はとうとう目障りな息子に首都にもどって学業に励めとていよくおいだそうとするが、オヤジの魂胆がわかっている息子が素直にでていくはずがない。カルメンは自分がスサーナにプレゼントしたはずのハンカチが夫の部屋にあるのをみつける。そこへ夜中に夫とスサーナがだきあってキスしているところを目撃する。楽園のようだった家庭は家族がいまやお互いを仇のような目でみるようになった▼なんだろ。つまりこの映画はブニュエルがメキシコ時代に作った昼メロみたいなものか。そう思ったがでもなさそうなのだ。話の進展としてはヘススが、スサーナが脱獄囚であることを警察に通報し、スサーナは逮捕。それによってたぶらかされていた男たちは憑物が落ち、農場主は妻に非を詫び息子は発情がおさまり、ヘススはスサーナの正体を暴いて農場を去ろうとするが引き止められる。お産のあと原因不明の病気で死にかけていた馬まで一晩で元気になる。スサーナとの徹底抗戦を決意し、神様に「わたしに虎の牙をお与えください」と祈っていたフェリサも武装解除した。全員に愛と信頼が戻ったわけ▼それだけの映画だと言ってしまえばそれもそうなのですが、スサーナという女性がちょっとね…ブニュエルはのちにスサーナを原型にして「皆殺しの天使」で夜会に集まった女たち、「昼顔」のセヴリーヌ、「哀しみのトリスターナ」のトリスターナ、「小間使の日記」セレスチーヌ、つまり男のいいなりにならない、自我を貫く女たちを描いています。スサーナは男をたぶらかす、仕事はズルをかます、男も女も利用するためにしかつきあわない自分勝手な女ですが「わたしは男のものじゃないわ」と父権社会に啖呵をきります。農場主のグアダルーペといい、ヘススといい、女の意見や考えなど聞く気もない、男の権威主義が服をきて歩いているような男たちでして、カルメンもフェリサもすっかりそういう社会の習慣や考え方に慣らされている。スサーナだけが、鳩のなかに飛び込んできたハゲタカみたいに、クチバシで世間の常識という肉を引き裂こうとする。こんな女はうろうろさせておけない、放っておいたら何をするかわからないということで、スサーナはたちまち監獄に逆戻り。そう受け止めるとこの映画の大団円は気色悪い。男は元の鞘におさまった女たちに胸をなでおろし、女たちはスサーナが巻き起こした嵐が去ってホッとする▼ひとり、スサーナの荒々しさを成長させたのがブニュエルだ。ブニュエルの映画に登場する女たちはみな変わっているし、まともではないかもしれないが、男も女も人間が本気で自分を生きていこうとすればそんなものだ、というブニュエルの視線が行き届いていて、スサーナも大いにイカレテいるかもしれないが蔑視された女ではない。おしなべて女は貞淑と従順の仮面をつけなければ生きていけなかった時代を考えると「スサーナ」という女とブニュエルの新しさがわかる。

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