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特集「ディーバ(大女優)」

2014年6月17日

特集「ディーバ13」メリル・ストリープ フランス軍中尉の女 (1981年 社会派映画)

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監督 カレル・ライス
出演 メリル・ストリープ/ジェレミー・アイアンズ

メリルの血が騒ぐ女 

 知識も教養も、能力のある女が厳しい階級社会のなかで一生力を発揮することができない、彼女が就ける職業は、独身時代はせいぜい家庭教師かメイド、それも雇主が死ぬか解雇されたら失職。結婚しなければ娼婦か尼になって食べていくしかない。19世紀ヴィクトリア朝といえばそんな時代だ。サラ(メリル・ストリープ)は恵まれた絵の才能と知性を活かすことができないで鬱々としている。そこへ船が遭難して流れ着いたフランス軍中尉がいた。そこは旧弊な小さな漁村、ライム・レジスだ。サラは若くてハンサムで重傷の手当に呻き声ひとつもらさなかった中尉に惹かれる。彼はサラを美しいと言い、たぶんサラの家は貧しく地位は低かったのだろうが、男はそういうことも意識させない、調子のいいやつだったがサラは不実な男だと思わず、彼が離村する日港の宿屋に訪ねていく▼本作は二重構造になっていて、サラと考古学者チャールズ(ジェレミー・アイアンズ)の恋愛映画「フランス軍中尉の女」と、映画の内容の進行が二本の時間軸で進みますが、ここでは「フランス軍中尉の女」とはサラの何だったのかという一点に絞ります。宿屋に訪ねていくと男が一目で娼婦とわかる女と出てくるのが見えた。サラは男の正体が見え会わないまま引き返す。そこから彼女は「物語」を構築する。身も蓋もない言い方をすれば「フランス軍中尉の女」はサラの捏造です。ありもしなかった恋愛沙汰をあったようにみせかけ、二度と帰ってこない男を埠頭にたって待つ「棄てられた悲劇の女」を演じる。村の人々はサラが娼婦でありふしだらな女、アタマがおかしくなった女だと指差す。カレル・ライス監督は巧みにサラの心理をみせたり隠したりしながら、ミステリアスな女として描いていきます。観客はチャールズ同様、もっともなサラの言辞と悲しみのあふれるふるまいに引きずり回されるのですが、この映画のキーマンとして真実を示唆するのが、チャールズの友人であり、サラの主治医でもあった医師のグローガンです。彼はサラが原因不明のうつ病であり、自分を窮地に陥れて快感を感じる、多分にマゾ的傾向がある、彼女は悲劇的な恋愛のヒロインを楽しんでいるのであり、装われた孤独に同情してはいけない、心の中を吐露すればウツは快方に向かうだろうが彼女はそれを拒否している、つまり治りたくないのだと断じる。事実この通りなのです▼サラは自分に関心を持っているチャールズの気を引き「わたしといるところを見られたらあなたの名前に傷がつく」とか「幸せは眠っているあいだだけ。目が覚めたら悪夢が始まる」とか言う。男は夢中になる。地元の有力者の娘と婚約したチャールズはさすがにサラに危険なものを感じ取り「この町を去れ」というのですが、サラは「独りにして、どうか独りにしておいてください」というわりには、どこそこで待っているとか、もう一度会いたいとか伝えてくる。男もズルズルそれを受け入れる▼結局(という言い方もおかしいが)サラとチャールズは結ばれて、チャールズはサラが男を知らなかったことがわかる。普通ならなんでこんな手の込んだことを、と不思議に思うでしょうが、惚れたときは熱病みたいなものですから男は婚約を破棄したいとフィアンセに告げにいく。それこそ青天の霹靂ですがどうしようもない、チャールズは婚約者の父親から社会的な資格をほとんど剥奪される酷な仕返しをされます。でもこれでサラと天下晴れていっしょになれるのだ、とホテルに戻れば部屋は裳抜けのカラ。女主人は「彼女は三時の汽車でロンドンに向かった」というばかり。男はあきらめたか。とんでもない。新聞に探し人の広告、弁護士を頼んで捜索、手を打って3年。弁護士がサラの居場所を探し当てた…ほとほとえらいと思うわ。ちょっと横道にそれますが、ジェレミー・アイアンズは本作の「女に振り回される男」でよほど男をあげたのでしょうか。以後「ダメージ」では息子の嫁になるジュリエット・ビノシュに、「永遠のマリア・カラス」では文字通りカラス(ファニー・アルダン)に、「スワンの恋」では、高級娼婦オデット(オルネラ・ムーティ)に、手を焼きながらも女を受け入れ、そのためさらに引きずり回される男が回ってきています▼3年後再会したサラは格調ある邸宅の家庭教師。子供を教えるほか絵を描く自由もある好条件で勤めており、自分の描いた絵をいたるところに掛けている。いずれも才能にあふれた優美な作品で、彼女は昔描いていた魔女のような自画像とはえらいちがい。でもチャールズは腹の虫がおさまらない。怒りが爆発する。なにもかも棄てていっしょになろうとしたのに肝心の君は行方をくらました、なぜだ。女がいうには「わからないわ。心がいじけてひがんでいたのよ。だから婚約中のあなたにつけいって、救ってもらおうとした、でもそれは恥ずべきことだわ。だから関係を清算しようと思った」。それはうそではなく、彼女はロンドンに出て娼婦をやりながら再起をはかります。これまたなかなかできることではない。3年間苦労してやっと現在の職を得、新聞で自分を探しているチャールズを知り弁護士に連絡をとったという次第。彼女にすれば自主独立を果たした今ならいじけずひがまず、男の世話にならず愛し合える、そう思ったのでしょうね。現代では考えられないかもしれませんが、女性への抑圧と偏見の強い当時、自己実現を希求する女にとっては、生き方を支配されることそのものに自虐的にならざるを得なかった。だから「わたしはフランス人中尉のめかけ、堕落した女」とサラが広言したのは、彼女の自虐物語だったかもしれないけど、社会とそれに甘んじざるをえない自分が好きになれなかったからです▼ペテン師すれすれのサラのやりくちですが、時代の暗黒でもがく女のジレンマという視点からみると、彼女は誠実に自分を模索したのであり、自分がなりたかった境遇で生きる「なりたい自分」を得たのであり、自分が自分に恥ずかしくなくなって、晴れて名乗りをあげたという気持ちは理解したいと思います。割を食ったのはチャールズですが、これがまた最後まで彼らしいというか「許して」とサラにすがられ「許すよ」ですから、あっぱれというべきでは。ふつうならサラが横むいているあいだに毒でも盛ってやれと思わないでしょうか。カレル・ライスは「土曜の夜と日曜の朝」で長編初監督。「モーガン」で主演のヴァネッサ・レッドグレーヴをオスカー候補に、同作と「裸足のイサドラ」の二作でヴァネッサにカンヌ国際映画賞女優賞をとらせています。「フランス軍中尉の女」でもメリルはアカデミー主演女優賞に初めてノミネートされました。この映画に全力投球していた彼女は他のオファをすべて断っていましたが、ただひとつ、撮影中にとどいた脚本を読んで即決したのが「ソフィの選択」でした。なにかをかかえて生きていく、それも自分で自分を許せないような暗いなにか、そんな女にであうと女優の血が騒ぐようです。

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