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シネマ365日

2014年6月27日

溺れゆく女 (1998年 恋愛映画)

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監督 アンドレ・テシネ
出演 ジュリエット・ビノシュ/アレックス・ロレ/マチュー・アマルリック/カルメン・マウラ

ただもう感服します 

 見上げた女とは本作のヒロイン、アリス(ジュリエット・ビノシュ)のような女をいうのだろう。10歳年下の20歳の男マルタン(アレックス・ロレ)を愛し、妊娠した。男とグラナダに旅行中、アルハンブラ宮殿や遺跡を散策しているときにアリスはこういう「言いにくいことなのだけれど、病院に行ったら妊娠していると。深刻には考えないで」にもかかわらず男は聞いたとたん失神し昏睡状態に陥る。病院にかつぎこまれ医者は、発作は精神的なもので体のどこも異常はない。アリスはホッとしたように「聞いたでしょ。お医者さまはどこも悪くないのですって」よかったわねと言いたげなのに男は「でも普通の状態じゃないよ。ふらふらする。目が回る」女はやさしく「地球が回っているからよ」▼アリスは静養のためマルタンを海辺のひなびた漁村に連れてくる。来る日も来る日も男は泳いでいるだけ。預金口座にお金は一円もなくなるが男はそれどころじゃないみたい。アリスのお腹はだんだん大きくなってきた。アリスは若い男にとって妊娠はさぞショックだったのだろうと思いやるのであるが、とはいえあんまり男がめそめそウジウジ、いらいらして海に飛び込んでばかりいるから、さすがに様子がおかしいと思う。もともとストーカーまがいのおかしい男だったのだけど、惚れた欲目でわからなかったのね。マルタンとはなにひとつ現実処理能力のない男で、モデルで成功したにもかかわらずモデルなんて卑しい職業だと思っているのだろうとアリスに食ってかかりやめてしまい、自分の子供なら障害者に決まっていると頭をかかえる。彼の打ち明け話によれば「自分は私生児だ。10歳のとき美容師をやって自分を育てていた母親は、実の父親の家に連れていきそこで異母兄たちと大きくなった。父親は地元で会社経営していた。長兄が経営に加わり次兄は市役所の役人、三番目の兄はゲイでパリに出て役者になろうと修業中。自分はこの兄バンジャマン(マチュー・アマルリック)と唯一気が合う。事業が思わしくなく長男は自殺。バンジャマンの忠告を聞いて自分もパリに行こうと荷物をつめていたら父親に呼び止められ階段の上で口論になった。行く、行かせないで揉み合ううち父親を突き飛ばしたら階段から転げ落ち死んでしまった。以来罪の意識に苦しみ勃起せず君も抱けない」今までなんともなかったのに、女の妊娠がわかったとたん罪の意識とは頭をもたげセックスもできなくなるらしいのだ。でもアリスはそんなこと口にださず「それは事故よ。心の病よ。精神病院に入って治療するのよ」「金もない。帰りの切符は破り捨ててしまった」「なんとか方法を考えるわ」おんぶに抱っことはこのことではないか▼さてマルタンは精神病院に入りました。アリスは男の人生を形成してきた背景を知るため、故郷に行き実母に会い継母に会い、異父兄に会うが揃いも揃って自分勝手な連中ばかりで、ハエでも追うようにアリスは追い払われる。実母も20歳になった息子より今の自分の生活が大事だから「息子のことはよろしく」とばかりアリスにおしつける。それでもアリスは事件の現場の目撃者である継母に裁判の証人になってくれ、父親は確かに階段からおちて命を落としたがあれは事故だったと証言してくれと頼みこみ応諾させる。裁判など家名に傷がつくという一族相手なのだから大変であった。マルタンは精神病院から警察に自首し父親殺しを告白、尊属殺人は重罪だという検事のセリフが笑わせるわよ。アリスの地固めのおかげで目撃証言がとれたなら、情状酌量のうえ執行猶予は見え見えじゃないの。それに輪をかけたマルタンのセリフは「罪の責任を負います。人間として」これをきれいごとと言わずして何という。彼が罪に服して満足している間、アリスは結婚式のパーティや場末の酒場でヴァイオリンを弾き(彼女はヴァイオリン奏者)子供らに教え、金の工面をしつつ女手ひとつで子供を産み育てるのだ。アリスのセリフのまあ卒倒しそうなくらいみごとなこと。やるべきことはやったとバンジャマンに告げ「マルタンを深く理解できたわ。彼の子を産む決心がついたわ」マルタンに面会にきた彼女は「なんでもふたりで解決できるわ。誰にも頼らず。わたしは愛し続けるわ、あなたを。あなたといっしょに生きるつもりよ」「裁判は怖くない。気力は十分だ。君さえいれば僕は幸せだ」▼アンドレ・テシネっていい監督だし好きなのだけど、今みるとどうにもこうにも時代にはあらがえなかったところってあるのですね。同性愛の女は自殺させてしまうしかなかったとか(「夜の子供たち」のカトリーヌ・ドヌーブ)、自我を貫く女は刑務所に入れてしまうとか(「夜を殺した女」のこれまたカトリーヌ・ドヌーブ)、年上の女は男を助けるために無垢の愛を捧げあげく置き去りにされるとか(「かげろう」のエマニュエル・ベアール)、本作でも女は捧げる一方ですね。男が男であっただけで神話になったいい時代の映画だわ。だいいちこの邦題はどういう意味よ。「溺れゆく女」っていったいだれが溺れているっていうのよ。あ、そう。男の希望をかなえ裁判を受けさせ、社会復帰させるために全ての実務を処理したうえで「あなたを愛していくわ」と言った女は「溺れる」ことになるわけ? 話にならん。原題の「アリスとマルタン」のままのほうがよっぽどすっきりしていた。

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