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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2014年7月4日

特集 美しい虚無=妄想映画の魅力 スイミング・プール (2003年 ファンタジー映画)

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監督 フランソワ・オゾン
出演 シャーロット・ランプリング/リュディヴィーヌ・サニエ

ジュリーとはだれ?

 「幻想のプリンス」とわたし勝手にオゾンのことを呼んでいます。もちろんフランソワ・オゾン監督のことよ。洗練された感覚で女の想念を扱うことにかけては、この人の右に出る監督はいない。彼の映画とシャーロット・ランプリングの持ち味がまた気色悪いくらいフィットしましてね。このふたり精神的な姉弟ではないかと思うほど。本作は気心の知れたランプリングと、これまたお気に入りのリュディヴィーヌ・サニエ。主たる登場人物は彼女らだけといっていいオゾンの「ふたり劇」です。「8人の女たち」ではまったく子供だったサニエがシャーロットを相手にわたりあいます。こんなきれいになるとは当時思いませんでしたね▼ランプリング演じるサラはイギリス人のミステリー作家。オゾンとランプリングはふざけたのではないかと思うほど、こっけいな「クリシェ」(ありふれたものになってしまった対象)に彼女を仕立てあげました。頑固で自分のスタイルを変えない女。トレンチコートにチェック柄のシャツ。バーに入ればすっとカウンターにすわり、朝からウィスキーのストレート。家には養うべき老父がいる。人気作家であるにもかかわらず非社交的で、地下鉄で愛読者から話しかけられても「お人違いです」そう言ってさっさと降りてしまう。内向的で保守的で抑制的で本音を言わず自意識が強い。そんな女をランプリングは苦もなく表現する。出版社の社長ジョンは長年の情事の相手。彼は最近かまってくれず小説もスランプ気味だ。サラは壁に突き当たっている。金も名声も手に入れてまだなにがほしいといわんばかりのジョンに、サラは(お前それでも男か、いや人間か)とばかりむかつく。ジョンの言い分もわかりますけどね(笑)。で、ジョンも面倒になったのか南仏リュベロンにある別荘で新作の構想を練ったらどうか、自分もあとから行くと提案する。サラはその気になる▼瀟洒な別荘に到着。プールもある。プールはカバーで覆われている。マルセルという庭番がサラを案内しなにか用があれば電話してくれといって帰る。サラはひとりになる。深夜物音がする。電気スタンドのシェードと電球をはずし、脚だけもって(棍棒代わりか)階下のドアを開けたサラの前に見たことのない若い女がいる。彼女はジョンの娘でジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)と名乗る。娘がいるとは聞いたが別荘にくるとは知らなかったとサラはみるみる不機嫌になる。そういうわがままな女である。ジュリーの出現でこの映画は急展開する。サラの心のなかにはじめて自分が追及したい人物が像を結んだ。ヴァージニア・ウルフがいう「ヴィジョンをみつけた」のです▼さてここからが論議の的になるのですけどね。ジュリーとは何者か。彼女は実在するのか。オゾンの解釈によれば「映画のなかで自分を表現したりなにかを創造する場合、ふたつの手法がある。ひとつは現実の自分とそっくりな人物を登場させる方法。もうひとつは自分を別の人物に投影させる方法。この映画のスイミング・プールとは映像や人物を映しだすスクリーンだ。そして最初にプールに入るのはジュリーで、これによって彼女はサラが書く小説の主人公になる」ご本人がここまでハッキリ言っているのだから付け加えることはないですね。ラストでサラがジョンを訪問し、新原稿の出版化をしぶるジョンに、別の出版社からとっくに本にしたと刷り上がった新刊書をだす。自作のなかの最高傑作と自負する。サラは自信作を書くことによってウジウジしていたスランプを脱しジョンとの関係も清算し、新生面を開いた。そうさせたのは彼女がクリエイトした「ジュリー」です。対極にいて反発していたジュリーとサラの距離がだんだん狭まっていく、親密度が濃くなるプロセスにレスビアニズムをみる説もありますが、さあどうでしょ。オゾンの感覚やサラの男性的な性格設定からすればありうるかもしれませんが、彼女が自分以外のだれかを愛するとは考え難い、それでもラストにジュリーの面影に手をふっているサラのシーンは、やっぱりオゾン独特の叙情ですね。

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