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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2014年7月8日

特集 美しい虚無=妄想映画の魅力 アメリカン・サイコ (2000年 サスペンス映画)

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監督 メアリー・ハロン
出演 クリスチャン・ベール/ウィレム・デフォー/クロエ・セヴィニー

病院に連れて行けよ 

 同じメアリー・ハロン監督の「モスダイアリー」を「花の三女優」でまとめたけど、その伝でいけば本作のくくりはもう「怪演クリスチャン・ベール」で決まりだな。そうでも言わないと収拾つかないような、頭かシッポかわからないような、曖昧な作り方がこの監督の得意技なのでしょうかね。「アメリカン・サイコ」というタイトルは刺激的ではあるけど、だからなにかがズッシリ応える映画かというと、うーん。主人公のパトリック(クリスチャン・ベール)は殺人狂だという設定なのね。昼はエリートビジネスマン、夜は人を殺す衝動を抑えきれないサイコ男。仮面をはいだ素顔の「恐るべき真実」というのがこの映画のオチだってこと? まさかね。どんな平凡にみえる男でも女でも仮面の一枚や二枚つけているわよ。彼の秘書のジーンはパトリックがこまめに描きつけていたメモ帳のスケッチをみて、副社長はこんな残虐なことを考えていたのかと呆然とする。執務デスクの奥に隠していたってことは、彼は勤務中に描いていたのか眺めていたのね。そんなヒマな副社長でいいのでしょうか。パトリックだけじゃない、アメリカのビジネスや金融を左右するエリート社会を動かしているのは、かくも知性と教養のかけらもない、凡俗な連中なのだという監督の嘲笑が響きわたっているけど、この映画ってなにかの遺恨に対する復讐劇なのでしょうか▼でも凝った映画よ。出だしは秀逸よ。主人公のモノローグをまあ聞いて。「朝、顔がむくんでいるときはアイスパックを当て腹筋1000回。ローションで毛穴の汚れを落とし、クレンジング・ジュエルで体を洗う。ボディ用スクラブとフェイス用ジュエル・スクラブでハーブミントのマスクを塗って10分間。ひげそりの準備をする。アフターシェイブはアルコールフリーのもの。アルコールは皮膚を乾燥させてしまう。仕上げはプロテクティブ・ローション。僕はパトリック・ベイトマン。27歳。幻想だけの存在だ。君が握手を求めれば冷淡さを隠し、君の手を握り返す。ライフスタイルも君と似ている。でも僕はそこにいない」このわかったようなわからないような自己紹介。だったらお前はどこにいるのだッ。それがこれから始まる映画の内容なのね▼彼が高級レストランで有名企業の幹部にいる友人たちに言うには「ビジネスや投資の損益よりもっと大事な問題がある。アパルトヘイトや核開発競争をやめさせ、テロや飢餓を終わらせ、ホームレスに食料や住居を与え、公民権運動を拡張し人種差別を撤廃し、女性差別をなくすこと。もっと社会に関心を持ち、若者の物質主義を抑制し伝統の価値観に立ち直るよう努力すべきだ」折り紙つきの正論に友人たちは苦笑。もちろんこれはパトリックの仮の姿である。友人たちというのはたとえばスーツはヴァレンチノ、オリバー・ピープルのメガネ、しゃれた名刺を競い「オフ・ホワイトの高級感あふれる厚みと透かし模様入り」の、洗練された名刺をもつライバルにパトリックは羨望で身悶えする。ステレオタイプの男たちのスノビズムをきめ細かく描きこんでいく監督は、自分のイケズな視線に舌なめずりしている感がある。彼女はパトリックにこう言わせるのだ「(やつらに)感じるのは欲望と嫌悪感だけだ。夜だけでなく昼も血に飢え殺しの衝動と狂気を覚える。自分の正気の仮面がはがれつつある」▼やがて監督はパトリックの化けの皮をはがしにかかる。彼のしゃべりは徹底的に自分のことだけ。何の役にもたたない知識と薀蓄をひけらかし、対話(特に秘書や娼婦に)はほとんど命令形しか用いないという傲慢な男。類は類を呼ぶ。パトリックを取り巻く友人たちとくると「性格のいい女はいない、女に望むものは抜群の体と男のセックスの要求に応じ喋らないこと。性格がよく頭がきれ、ユーモアや才能のある女は決まってブスばかり。魅力のなさの埋め合わせだよ」女性の監督と脚本家は、かくもキッパリ男の本音を断言する。だから思うのよね、この映画どことなく男に対するうっぷんを晴らしているのではないかって。しかし惜しいことに後半メアリー・ハロン監督とグィネヴィア・ターナーの脚本コンビは失速する。主人公の連続殺人は殺すシーンばかりが続き、内面の劇として訴えるものが薄れていくのだ。パトリックはクレイジーなサイコ男だった、で終わってしまうのだ。彼が全裸でチェーンソーを持ってマンションの中を走り回り、階段を走り降りる女の上にバカでかいチェーンソーを投げ落とす。彼は女を殺したのか、殺さなかったのか、それさえも映らない。映しようがないのだ。だって…いややっぱりやめておこう。ここは観客が確かめるべきだわね▼監督も脚本も結論を明確に出していないが、パトリックの撃ったピストルの弾が数発当たっただけでパトカーが爆発炎上するとか、死体が入ってボトボト血の流れる袋を引きずって管理人室の前を通りながら気づかれないとか、ばからしいシーンがいくつかあり、これをみて結論の代わりにしてよね、と言っているのと同じだろう。ただのサイコじゃなく「アメリカン・サイコ」としたのはアメリカの社会がイカレテいるってことか。それともパトリックの制御不能の欲望になにか救いはあるの? あるはずないだろ、思わせぶりなセリフばっかり言わせていないで、さっさと病院に連れて行って治してやれよ。ほんと人騒がせな映画だわ。

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