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特集「男前」

2014年8月9日

特集「男前」 セシル・ド・フランス(上) モンテーニュ通りのカフェ (2006年 コメディ映画)

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監督 ダニエル・トンプソン
出演 セシル・ド・フランス/ヴァレリー・ルメルシェ/シュザンヌ・フロン

今が最高の「いい席」 

 美人であるとかないとかいう以前に「精彩を放つ容貌」というのがありはしないだろうか。セシル・ド・フランスはまさにそんなに女優なのだ。ダニエル・トンプソン監督が、最初の面接で彼女を採用するつもりはなかったのに、自宅に帰ったときはこの役は彼女以外のだれのものでもないと考えていた、と言うのはあながち自作アピール用の発言ではないと思える。セシルの表情にある内側から光りを放つような明るさは独特だ。笑顔をつくらなくても愛らしく無邪気で、男にふられたという役柄上の身の上が冗談にしか思えない。セシルが扮するジェシカは4歳のとき両親に死なれ、おばあちゃんに育てられた田舎娘だ。おばあちゃんは繰り返し孫に、若いときに働いたパリの思い出を語る。おばあちゃんはホテル・リッツで掃除係りだった。ジェシカに田舎にばかりいないで、お前もパリをみてくるといいと、可愛い孫娘を旅立たせる▼このおばあちゃんがシュザンヌ・フロンだ。エディット・ピアフの秘書から芸能界入り。ヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞した名優であり、写真家ロバート・キャパのフィアンセだった。彼女は撮影終了直後に亡くなり、本作は彼女に捧げられている。ハリウッドが真似できないヨーロピアン・テイストのたちこめる映画だから、先を急がずゆっくり述べていこう。まず「モンテーニュ通りのカフェ」という邦題は傑作だ。原題は「オーケストラ・シート」。なんのことかわからないでしょ。劇中の解説によれば「舞台が始まる前、観客はよりいい席をと考え、前の席をとるために命を賭ける。ところが照明が落ちて気がつく。近すぎるとなにも見えない!」。つまりいま目の前にあるものが見えず、遠くにもっといいものがあると思いを馳せる人たちのこと。映画に登場する彼らは人生で成功した幸運な人たちだ。有名人であり金持ちであり、芸術家として名をなした。すばらしいことなのに充足感がない。彼らは自分のそれまでの人生を疑っている。コンサートに自信を持てないピアニスト、自分のキャリアに満足できない女優。一生かかって集めた、愛する芸術品をオークションで売り払う美術収集家。これいじょう人生にだまされないぞ、とばかり疑い深くひねくれ、疲れきった男や女の前にジェシカは現れる▼彼女はパリにきたその日パリ8区にある「カフェ・ド・テアトル」にやとってくれと頼み込む。女は雇わないのだという主人に、自分は田舎で給仕をしていた、料理は魔術師と呼ばれた腕だと、ほんとかどうかわからないがともかく積極的に売り込む。そこへレギュラーの給仕が欠勤だという報告がきた。「クソ、こんなときに」主人は毛が逆立ち(あんまりないけど)ジェシカを臨時雇いとする。パリ8区の「モンテーニュ通り」がそもそも名脇役であろう。シャンゼリゼとジョジュ・サンクを結ぶ黄金の三角形と呼ばれる一等地。向かいにシャンゼリゼ劇場、隣接するオークション・ハウスとコメディ・デ・シャンゼリゼ劇場。ホテル・プラザ=アテネ。老舗カフェのギャルソンになったジェシカの前で、映画監督がプロデューサーと次作のキャスティングの打ち合わせをし、足繁く通う女優カトリーヌ(ヴァレリー・ルメルシュ)は朝食のクロワッサンを頼む。徹夜で働いた舞台の裏方はヘトヘトになった疲れを熱いコーヒーで癒やし、断絶状態の父と息子が顔を合わし、彼らの運命が交錯していく▼セシル・ド・フランスはこのとき31歳だった。金髪のショートカット、白いシャツに黒の蝶タイ、短めの赤いチョッキ、ローウェストにきちっと締めた黒い前掛けにブーツをはいた178センチの長身。彼女は人なつこく客に声をかけ「やたら話しかけるな」と主人に注意されてもヘッチャラ。オークション出品準備中の会場にコーヒーを出前し、彫刻にみとれていたら、出品者のおじさんが声をかけた。「わたし教養がなくて」とジェシカは答え「でもこれをみていると恋したくなる」それをきいたおじさんは「作家が喜ぶよ。ブランシークというのだ」彼はすっかり、手垢のついていないジェシカの感性が気にいったのだ▼安宿を探してひとつもみつからないジェシカに、シャンゼリゼ劇場の管理人ダニが自室を提供する。彼女は劇場に住み込みなのだ。同じ部屋に女優のカトリーヌがいて、ダニが舞台で酷使したカトリーヌの足をもんでやる。テレビ出身のカトリーヌは映画のシモーヌ・ド・ボーヴォワールの役がほしい。サルトルとボーヴォワールが別れたのはサルトルが下手だったからだ、かれは裕福なおぼっちゃんで女の扱いを知らなかった、ボーヴォワールはそれでもちゃんと女を紹介し、しつこい女にはレスビアンをあてがったなど、歯に衣着せない女同士の新解釈がプロデューサーに受け、彼女はみごと役を射止める。オークションで収集品すべてを売ろうという収集家はガンだった。息子とはうまくいかない。妻に先立たれたいま、ふたりで「ビーバーが小枝を集めるように」長い日々をかけて集めた最愛の絵画も彫刻も無用になった。ピアニストはマネージャーである妻と意見があわない。2年も3年も先の講演旅行のスケジュールを妻が確認するのにキレてしまう。彼はふいに演奏を中断し、やおらタキシードを脱ぎ下着のシャツ一枚になって「せいせいした。演奏を続けさせてくれ」と聴衆に頼み、生き返ったようなピアノを聞かせる(ベートーベンの「皇帝」)▼ジェシカはおばあちゃんを田舎からよび、豪華なホテルに一泊させる。自分にはボーイフレンドがみつかった。「カフェ・ド・テアトル」は辞めることにしたが、最後の客が帰ってもまだ話し込んでいる恋人たちに、主人は特別なフルーツサンデーを作ってくれる。ちょっとジェシカの調子がよすぎる気もしますが「目の前を通り過ぎる幸運と不幸」という監督の意図からすれば、ジェシカは「今いちばんいいオーケストラ・シートにいる自分」に気が付いて、しっかり生きていけというエールでしょうね。

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