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特集「男前」

2014年8月10日

特集「男前」 セシル・ド・フランス(下) 少年と自転車 (2012年 社会派映画)

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監督 ダルデンヌ兄弟
出演 セシル・ド・フランス/トマス・ドレ

成熟したセシルの魅力 

 「モンテーニュ通りのカフェ」から6年、セシル・ド・フランスは本作のとき37歳になっていました。この間に「ある秘密」「シスタースマイル /ドミニクの歌」「ヒア アフター」と主演作が続き、ヨーロッパを代表する女優としての貫禄すらただよっています。ういういしい青春のさなか、「ギャルソン」と呼びたくなるようなセシルもよかったですが、本作では市井のかたすみで慎ましく生き、めぐりあった縁で養子を育てる中年の独身の女性という、おばさん役をしっとりこなすようになったセシルであります(われながらベタボメですな。でもそれくらいこの人、アクも嫌味もないのです。ヴォーグ誌の「友だちにしたい女性」の1位に選ばれていましたよ)▼育児放棄という重いテーマです。放棄されたら子供はどうなるか。保護と規律を与えないとどこに向かうかわからないのが子供でしょう。自分で判断できる世間知もまだない、まして人間を識別する社会経験もない、この子シリル(トマス・ドレ)みたいに相談するにも親が行方をくらまし、学校にも通わせてもらえないとなると、行く先暗くなる。人は生きていくのに収入が要る。収入を得る方法は3つだ。自分で働く。盗む。物乞いする。シリルは12歳だ。自分で働ける年ではない。逆境が人を育てるとはある程度基本的な体力や知識を備えたうえであって、12歳でいきなり社会に放り出されるなど、子供の身になればなすすべもない▼シリルは自分を児童養護施設に預けた父に会いにいく。いっしょに暮らしたいからだ。父が残したのは自転車一台。父親が住んでいた団地を尋ねるが引っ越して行き先は不明、電話はつながらない。施設を抜け出してきたので先生が探しにきた。まこうとして入った診療所でつかまり、しがみついた女性が美容師のサマンサ(セシル・ド・フランス)だった。先生が腕ずくで少年をひきはがそうとするが、彼はサマンサを放さない。弱者の本能ってあるのでしょうか、彼はサマンサが自分の救世主だと一瞬で悟ったみたいよ。サマンサは「そんなにつかんだら痛いわ」と言うが、その声は落ち着いていて嫌悪感はない。シリルはその場で「週末だけの里親になって」と頼み込む。サマンサは里親をひきうけシリルの自転車も買い戻してやる。サマンサにはつきあっている男がいるが、サマンサがあまりにシリルの世話をするのが男は不審である。しまいに「おれかそいつかどっちを取る」と男が聞くと「この子」とサマンサは即答するではないか。いきなりどうなっちゃったのとだれでも思うが、そのへんの説明は全くなし▼しかしまったくしつけのなされていないシリルとは、手に負えないクソガキだった。育児放棄されたのはシリルの責任ではないが、現実の諸事情はだからといって手加減してくれるものではない。シリルは自分勝手で人の苦労も立場もわかろうとしない、社会性がなにひとつ身についていない小さな獣同然だった。几帳面にしつけるサマンサを嫌って不良仲間とつきあい、あわれな裏街道を幼くしてシリルは歩きかける。シリルのおこしたある事件がサマンサに弁償責任を生じさせ、自分のためにそれをひきうけたサマンサをみてやっとシリルはサマンサに心を開く。しかしまあ、この映画がすこぶるつきで気にいらないのはここである。まずシリルのオヤジの無責任さは特筆ものだ。サマンサはシリルといっしょにやっと父親を探し当てるが、親父はサマンサに息子をおしつけ「世話はあんたに頼む。おれは仕事もあるし、子供は育てられない」だってよ。仕事があるのはサマンサも同じだ。彼女はまだ家事もあるのだ。こんな男の尻拭いをなんで女がやる設定になっているのだろう、この映画は。監督はこういいます。「サマンサを演じる女優は温かみのあることが必要だった。セシルはみごとに演じてくれた」どうでもいいの、そんなことは。でもなんで女はいつも男を救済し、根性のヒン曲がった子供の面倒を、無条件で引き受けなければ、温かみがあることにならないのだ。本作はカンヌ国際映画祭審査員特別賞だった。けっこうね。でもいつまで女は家事・育児・やさしさの三点セットで人格と能力のすべてを測られ評価されねばならないのだろう。サマンサは女神かよ。セシル・ド・フランスは「ジャック・メスリーヌ/フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男」ノワール編で悪女役をやったが成功とは思えなかった。本作でひとつだけとるべきものは、クソガキをなんでそこまでと人に思われながら無条件に受け入れる、そこにシリルと同じ年くらいか、もしくは生きていればそれくらいになる子供のことでなにかあったにちがいないと感じさせる隠された愛の奥行き、セリフにもシナリオにも書かれていなかったそれを、セシルが自然体で表現していることだ。

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