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特集「男前」

2014年8月18日

特集「男前」 デミ・ムーア 薔薇の眠り (2000年 ミステリー映画)

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監督 アラン・ベリネール
出演 デミ・ムーア/ステラン・スカルスガルド/ウィリアム・フィクトナー

むしろ女の鑑だわよ 

 ハリウッドのクーガー女とか、年下男にすてられ自暴自棄になって激ヤセとか、2600万円のダイエット、整形(それも全身!)、奇行、いつも話題が絶えないお騒がせ女のように受け取られているデミ・ムーア。この一連のパブリック・イメージを一掃する「これぞ」という映画に登場してほしいと思うのは、ひとしなみデミ・ファンの願望ではないだろうか。というのもデミのことを、軽侮をこめてこきおろす記事は、たいてい男性目線ではないか。デミみたいに自分のやりたいことをノンストップでやりたい放題やる女を、おもしろくないと思う男性は案外多いにちがいない▼「ゴースト/ニューヨークの幻」以来からの根強いデミ・ファンには少なからぬ女性がいる。彼女らはデミの結婚離婚にまつわるワイドショー的な話題を無視してはいないし、ほめられたことではない彼女の行動についてもことさら弁護していないが、クソミソな侮蔑も与えていない。むしろ積極的なセレブの生き方、年下男のゲット、桁外れのコストをかけてやれる美容整形、うそみたいな美貌とスタイル、これぞセルフ・プロデュースの見本であり、女のカガミだという賞賛と羨望すら一方であるのだ。社会の(男の、と言ってもいいが)ひんしゅくを買う行為とは、これまで規範とされてきた一定の線から、少しばかりはみ出しただけにすぎないことがままある。オフィシャルな武装ができていないために叩かれたり爪弾きされたりする人が世間にはいるが、それでもって当人の才能や実績を決めつけてしまうのもどうだろう▼「シネマ365日」の特集「オスカーに背を向けた女/デミ・ムーア」で扱った一連の作品に「男前」というにピッタシの作品が少なくなかった。「G.I.ジェーン」とか「ダイヤモンド・ラッシュ」とかね。それらと比べると「薔薇の眠り」はかなり雰囲気のちがう映画だ。ハリウッドのレポーターたちの記事によれば、私生活におけるデミの「おっさんぶり」はますます顕在化しているらしい。どうみても肉食系・捕食系のデミが、本作で精神科医の診断を受ける女性を演じている。それがガラにも合わぬと思われたのかどうか、本作はゴールデンラズベリー賞(作品賞)と最低主演女優賞となった。興行収益でもぱっとしなかったが、でもけっこうおもしろい映画なのだ▼南仏とニューヨークに別々に住む同一人物、という興味津々のスタートである。フランスにいるマリー(デミ・ムーア)は10歳と5歳の娘がいて、二年前夫に死なれ書評を書いて女手ひとつで育てている。ニューヨークにいるマーティー(デミ二役)は出版のエージェントとしてバリバリのキャリアウーマン。仕事も順調でアーロン(ウィリアム・フィクトナー)という恋人がいる。フランスのマリーは娘たちを寝かしつけ寝室にひきとりなぜか鍵をかけて眠りにつく。夢のなかでマリーはニューヨークのマーティーになっている。ニューヨークでの一日が終わり、マーティーが眠るとフランスのマリーが目覚め活動を起こすのだ。マリーとマーティーの生活が交互にある。肉体はひとつだから、どっちかが現実でどっちかが夢なのだ。その手がかりがなかなか与えられない。しかも公平に、マリーにはウィリアムス(ステラン・スカルスガルド)という恋人までできる。これで二組のペアが大西洋を越えて毎晩夢で交代するのだ。ある日アーロンはマーティーの部屋の隅っこにあった古い箱を見つける。マーティーがなかを開けると写真やノートが。マーティーはマリーの写真をみてつぶやく。「母よ」そしてふたりの娘たちの写真に「これは5歳のときのわたし、これは10歳のときのわたし」。そこでマーティーの自己解説によって真相が明らかになる。マーティーの母はフランスでマーティーが11歳のときに死んだ。母を失った喪失感がトラウマとなって、マーティーは夢の中で二重生活を送っていたのだ▼それまで律儀に一日交代に見せられてきたフランスとニューヨークのデミ・ムーアが、恋人のもってきた箱をあけたとたん我にかえって現実把握するのはかなり唐突だが、もうさんざんデミの幻想につきあったあとですから、もういい、としかいえない疲れー食べ疲れとか飲み疲れの類の疲れーを与えてエンドになるところがデミの映画らしい。

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