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特集「男前」

2014年8月20日

特集「男前」 ジョディ・フォスター(上) ブレイブ ワン (2007年 社会派映画)

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監督 ニール・ジョーダン
出演 ジョディ・フォスター/テレンス・ハワード

自分の中の他人 

 ジョディ・フォスターが長い間かけてつくりあげてきた女性の概念に「犠牲者」があります。彼女のイェール大学時代のストーカーが、レーガン大統領暗殺を謀った、その理由が「ジョディ・フィスターの愛と賞賛を得るため」とわかって、マスコミの餌食にされた経験、同時期に別の男がジョディ・フォスターの襲撃を計画していた事件が明るみにでて、フォスターはひきこもりになり、自分を立て直すのに費やした大学卒業後の3、4年は人生でいちばんつらかった時期とふりかえっています。自分の原体験にある「犠牲者」の直接的な感情を、最初に練り上げたのは「告発の行方」のヒロインでしたが、さらに抽象化して「女性という犠牲者」という社会的な「犠牲者の像」に挑んだのが「羊たちの沈黙」の主人公クラリスでした▼フォスターははじめからこの小説を狙っていました。小説の権利がすでに売却されたことを知った彼女は、せめてクラリスの役だけでも取り戻そうとニューヨークに飛び、監督のジョナサン・デミに会い「自分は苦心して犠牲者という概念をつくりあげてきたし、女性への恐怖による支配を終わらせる正義の味方役を心から演じたいのだ」と訴えた。フォスターにいわせると、クラリスが腕力と暴力でなく、知力を尽くして連続殺人犯に立ち向かうこの作品は、女性の真のヒーローを生み出す映画だと確信していた。前置きがやや長くなりましたが、ジョディ・フォスターという女優の思想からも、フィルモグラフィーのうえからも「ブレイブワン」は「犠牲者の系譜」にあります。「シネマ365日」で本作をチャールズ・ブロンソン女版「復讐の天使」と位置づけたことは、まるっきり間違いではないにしても、フォスターが創ろうとした「真のアウトサイダー像」からは、自分でも残念だけどほど遠い解釈だったといわねばならない▼フォスターがこの映画で描き出したのは「自分のなかの他人」です。同じ肌、同じ脚、同じ腕を持つ。その他人はヒロイン、エリカが悲惨な体験をし、重傷を負い婚約者を殺され、意味も理由もなく「犠牲者」においやられた自分のなかで目覚めた。彼女は婚約者とともに公園で集団暴行を受け、死線をさまようショックから、やっと意識を取り戻しても日常の世界に戻ることができなかった。エリカはラジオのDJだ。陰気な暗い顔でアパートに帰るエリカをみて、黒人の占い師は死相がでていると言ったくらいである。職場の上司から見てもエリカの現場復帰は難しかった。エリカはそれでも「お願い、仕事をさせて。このまま消えるのはいやなの」と頼み込み、再びDJのマイクの前にすわる。異様なほど長い沈黙のあと低い声でエリカは話しかける。このシーン。ジョディ・フォスターのとんがった高い鼻、薄い唇、青い瞳、ブロンドのショートカット、意志の強いあご、ハスキーな声がとても魅力的に撮れています▼「白い家の少女」のころですからかなり前、フォスターが14歳のときです。ある監督が主演候補にフォスターがあがっていることを知り「彼女だけはだめだ、他人がどうしてもうちとけられない冷たさがある」と評したのはけだし至言でした。沈黙と拒否によってフォスターは自分の中の他人を守ってきた。沈黙と拒否によってしか、自分のなかにひそむ他人を棲息させることができないと、本能的にわかっていたからです。それは光のかわりに闇を食み、太陽のかわりにサタンにうなずく。本作でエリカがとる行動は、ふつう男の行動とされるものです。拳銃を手にためらいもなくぶっぱなす。苛烈な行動にかりたてられる女をフォスターは演じる。それまで眠っていた自分のなかの他人が殺人を犯し始めます。本作の製作総指揮であるフォスターは、始めから終わりまで神経を行き渡らせて作ったと思われます。注意深くエリカの「その後」にはいっさいふれていません▼彼女が刑事の温情で現場から逃走し事件は犯人射殺として解決されたことになりますが、フォスターはエリカを罰する気振りも示していません。彼女の関心は法の裁きではなく、それまで社会の犠牲者として埋没することを強いられてきた女性に、彼女ら自身の中にいる「もうひとりの自分」というアウトサイダーを目覚めさせたことですから、逮捕だ、裁判だ、ヘチマだという形而下の日常に問題を引き戻したくなかったのです。この映画でフォスターが演じたエリカは、殺人によって心が落ち着く危険な女です。エリカは殺人狂であるという意味ではない、しかしそんな極端な手段でもない限り鎮められないラディカルなものが女にはある、女たちはそれをまっとうな手段で解放し、社会的な力とすることがこれからの女には求められる。そんな視点と広い視野と理解を要求する映画であると思います。最後にエリカの愛犬カーティスのことだけはいっておかねば気がすまない。犯人グループに連れて行かれたまま、そこから逃げようともせず諾々といっしょに暮らしていたのかよ、お前は。しっかりメシも食っていたにちがいない。少しもやせてない。エリカが奮戦しているときに敵にかぶりつきもせず、悪党どもがぜ~んぶやっつけられてからあわててエリカのあとを追いかけていく…お前それでもシェパードかよ、ドンガラばっかり大きくて、しっかりしろい。

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