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特集「男前」

2014年8月21日

特集「男前」 ジョディ・フォスター(下) ホテル・ニューハンプシャー (1984年 家族映画)

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監督 トニー・リチャードソン
出演 ジョディ・フォスター/ナスターシャ・キンスキー/ロブ・ロウ

J・フォスターの「夜明け前」

 主演級出演者の年齡がみな同世代です。ジョディ・フォスターが22歳でイェール在学中。ナスターシャ・キンスキーが23歳、ロブ・ロウが20歳。監督のトニー・リチャードソンが自由な打ち解けた雰囲気をだそうとして、合宿みたいな撮影が数ヶ月続いたという本作はジョディ・フォスターのお気に入りです。大統領狙撃事件の犯人がフォスターの大ファンであったことで彼女はマスコミの暴力的な取材にさらされましたが、同時に同事件の大騒動がフォスターの知名度を格段にあげたことは否めません。本作でフォスターに提示されたギャラは50万ドル。彼女にとって過去最高でした。ジョディ・フォスターという女優の強さの源を、実兄バディ・フォスターは「鉄面皮のような自信と立ち直りの早さ」と分析しています▼原作はジョン・アーヴィングのピカレスク小説です。風変わりで不運な一家の奇怪な人物たちを俳優は演じます。本作はフォスターがのちに女優として演技を深めていくことになる「犠牲者」の最初の作品です。映画のはじめのほうでフォスターは集団レイプにあい、その苦痛と向き合いながら自分の弱さを克服していく。レイプされて家に戻ってきて、バスを使う姉にジョンが「なにかほしいものは」ときく。そのときの返事「昨日までのわたしを」は名セリフのひとつでしょう。この映画にはみなだれかの比喩とも思しき役柄が設定されていますが、フォスターが演じるフラニーの強烈な個性などフォスターそのものです。フラニーにはゲイの兄フランクと、のちに肉体関係をもつ弟ジョン(ロブ・ロウ)がいる。妹のリリーは背が伸びない小人症と診断され、作家としてベストセラーを書くが、二作目が不評で自殺する。母親と末弟は飛行機が墜落して事故死。父親は真面目な努力家である反面夢想家で、廃校になった女学校を買い取り「ホテル・ニューハンプシャー」として家族経営するが行き詰まり、友人フロイトがホテルの経営を手伝ってくれという招きによってウィーンに行く。フロイトはナチの拷問で失明していた。同じホテルにいるスージー(ナスターシャ・キンスキー)は、自分が醜いと考えクマのぬいぐるみを脱いだことがない。ホテルに泊まりこんでいるのは反ナチのグループと娼婦たちだ。フラニーの家族に悲劇が迫ると決まって死んだ愛犬ソローの剥製がどこかから現れる▼フォスターとの共演を理由に出演を承諾したナスターシャ・キンスキーは、フォスターの最も親しい友人のひとりとなりました。母親が事故死した一家は異郷ウィーンで新生活を始めます。仕切り屋のフラニーが「これからはわたしがママの代わりよ。みんなの面倒をみるわ」スージーが「えらい剣幕ね。自信満々じゃない」「あなたより少し頭がいいからよ。バカなクマとはちがうのよ」「あんたこそメス犬よ」こんなひどい言葉を投げつけあって、敵同士かと思うと、裸でだきあってキスしている深い関係。この映画は「どうなっているのだろう」ととまどうシーンの連続です。家族とかその死とか愛情とか離別とか、セックスとかをなりゆきに任せて並べ立てているような本作は、見事なまでに人生のすべてを「B級」にしてしまいます。われわれが生きる人生のどこにも、聖なるもの、特異なもの、特別なもの、神々しく新規なものはない…最後はこうしめくくられる「人生は夢のなかで作られていく。死んだチビの妹も(ナレーター役はジョン)母、ヒーローの父、でも夢ははかなく逃げ去ってしまう、それでもなんとか生き続けるしかないのだ」なんとまあ、しかめ面の厭世観にみちみちたエンド。原作も原作だけどリチャードソン監督がイギリス人ということと大いに関係あるのでは。この映画のシニカルな部分を代表しているのが長女役のジョディ・フォスターで、彼女の露悪的、後ろ向き、批判的、否定的言辞には辟易するところがあります▼ジョディ・フォスターとは撮影所のセットを家代わりにして育った女優です。芸能界という特殊な業界で安定した地位を得るにはそれなりの心得が必要だった。生活に秩序を求め、撮影所の規則に順応し、自分が求める映画の品質に厳しく注文をつけ、それを正しいと認めさせる専門知識と議論に習熟し、多弁に回答していると思えたインタビューでも、フォスターがつけこまれる本音をもらしたことは一度もないほど彼女は慎重でした▼肝心なことは、それほど厳しく自制することが、ジョディ・フォスターという女優にとって自然であり、居心地のいい振る舞いだったことです。映画の申し子のような生育からすれば、彼女が演じる役が彼女の成長を助けてきたといっていい。フォスターはしばしば自分の人生の契機は出演作のなかにあったと答えています。しかし本作はまだ発展途上でした。レイプシーンでフォスターはどうしても裸になることを拒否し「俳優になるつもりなら脱げ」というリチャードソンと口論になった。フォスターは言い返した「けっこうよ。だったらわたしは俳優じゃないわ。自分で快適に思えない自分ならはためにもバカみたいよ」結局撮影はボディ(スタント)でした。しかしこの4年後フォスターは自分でレイプシーンに挑みます。「告発の行方」でした。自分で快適に思える自分へと、この映画によってフォスターは変身と脱皮を遂げます。

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