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特集「男前」

2014年8月23日

特集「男前」 クリステン・スチュワート ランナウェイズ (2010年 伝記映画)

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監督 フローリア・シジスモンディ
出演 クリステン・スチュワート/ダコタ・ファニング

クリステンとダコタ 

 クリステン・スチュワートもよかったけど、ダコタ・ファニングもよかったですよ。クリステンの代表作は一連の「トワイライト」とするのが一般的だろうけど、こっちのほうが好きだな。ダコタ・ファニングはそれまでの可愛い女の子を、服でも脱ぐようにばっさり振り捨てて頑張っている。時代(1975)背景を考えると、彼女らが演じたヒロインふたり、この子らよくやったな~と思うな。これは世界で初めてのオールガールバンド「ランナウェイズ」の始まりから終わりまでを描く映画です▼ロックスターを夢見るジョーン(クリステン・スチュワート)は、ロックは男がやるものという風潮にいらだつ。彼女はロックが好きですきでたまらない。男ばかりの世界に女だけのロック・バンドができたら絶対に当たると確信している。ジョーンは独学でギターを学び、音楽プロデューサーのキムに自分を売り込んだ。キムは「女ばかりのバンド」に直感でひらめくものがあった。早速メンバー集めにかかった。キムは言う「ロックは男の格闘技だ、暗闇に生きる人間のための音楽だ、孤独にオナニーしながら心の中で叫んでいる、世界中大キライ、父親はホモで最悪、権力がなんだ、オーガズムをよこせと」。最後に残ったのがバンドの華ボーカルだ▼ジョーンは酒場で出会ったシェリー(ダコタ・ファニング)の退廃的な魅力に惹かれ、ボーカルに引き抜く。トレーラーの練習場に現れたド素人のシェリーの歌をきいたキムは「クソだ。小便くせえ。へなちょこすぎる。それじゃ食われるぞ。ロックはタフな音楽だ」と技術より先にロックの精神を教える。客のヤジと争う訓練もさせる。威勢のいい若い男の子たちを集め、空きカン、ゴミ、食べ残しのクズ、ありとあらゆる汚いものを演奏中の「ランナウェイズ」にぶつけさせる。当初ゴミだらけになっていた彼女らは、しまいにギターで玉ねぎを弾き返し、ドラムのスティックでゴミを払い落とし、あるいは投げ返しながら歌うようになった。ニックネームも決まった。ブロンドのシェリー・カーリーは「トレーラーのバルドー」。リズム・ギタリストのジョーン・ジェットは「黒髪のロックの神童」。「怒れるミス・カリフォルニア」はドラムのサンディ・ウェスト。「秀才の雷鳴ベース」はロビン・ロビンズ。リード・ギターのリタ・フォードは「リッチー・ブラックモアの隠し子」。年齢は平均16歳だった▼彼女らの絶頂期は日本公演だった。コルセットとガータベルトの、ほとんど下着だけのコスチュームで挑発するシェリーの衝撃、このために生まれてきたと熱を帯びたジョーンのギター。篠山紀信はシェリーをテーマに「激写」を刊行した。公演は爆発的なヒットとなった。のぼりつめた代償のように、彼女らに疲れが襲う。シェリーは家に寝たきりになった父親を介護する双子の姉がいた。シェリーは葛藤からドラッグに走る。ステージに差し支えるようになったシェリーに風当たりはきつくなったが、いつもジョーンがかばってきた。ふたりの関係はかなり濃厚で、クリステン・スチュワートとダコタ・ファニングはMTVムービー・アワードの「キス・シーン賞」にノミネートされました。パパはあなたの新聞の記事を全部切り抜いて読んでいると姉から聞いたシェリーは「もう無理だよ。人生と家族を取り戻したい」とジョーンに訴える。なにしろ16歳だからねえ。「家族ってわたしらじゃないのか」ボロボロのシェリーにジョーンは痛ましく言う。シェリーを失って8カ月後ランナウェイズは解散した。キムは彼独特の厭世観でこう独白する「彼女らは16歳ですでに忌むべき存在だった。だからといって心配することはない。来年にはみなトレーラー暮らしだ。太って結婚して幸せいっぱいさ。だがこの哀れなおれは、もうすぐ昇りつめ、ロックンロールの伝説になるのさ」▼ドラッグとアルコールでシェリーは病院へ。退院して社会復帰したシェリーはある日ラジオでジョーンの声を聞く。彼女はジョーン・ジェット&ブラックハーツを結成し再びロックの世界に戻り、彼女の発表した「アイ・ラブ・ロックンロール」は1000万枚の大ヒットとなった。シェリーは姉とレコードを出すがドラッグで再び挫折、依存から立ち直ったあとは同じ問題に悩むティーンのカウンセラーになり、本作の原作である「シェリー・カーリー自伝」を著した。ジョーンは現在も世界中で活躍している。クリステン・スチュワートは自作について「ランナウェイズは女子に可能性の扉を開いた。やりたいことをやる自由が女子にもあることを証明した。1975年の女子に、女子だけのバンドを作りたいというジョーンの発想はなかった」。「出来栄えはともかく、ステージの撮影は全部自分で弾いた」もちろん音入れは別にやったでしょうが、いい根性ですね。クリステンは12歳のとき「パニック・ルーム」でジョディ・フォスターの娘になっています。フォスターに「ママ、そんなときは黙れ、クソ野郎というのよ」とギャング相手の応酬話法を教え、インシュリンの注射が必要で死にかけ、フォスターを振り回したあの女の子、思い出しました?

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