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特集「男前」

2014年8月25日

特集「男前」 ドミニク・サンダ(下) 悲しみの青春 (1970年 社会派映画)

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監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
出演 ドミニク・サンダ/ヘルムート・ベルガー

冷たさのエロチシズム 

 「悲しみの」などというセンチな邦題で損をしています。原題は「フィンツイ・コンティーニ家の庭」。ジョルジョ・バッサーニの同名小説の映画化です。ヴィットリオ・デ・シーカは「ひまわり」とか「終着駅」とか、悲恋もので涙をしぼらせる名人みたいなところがあるけど、彼の出身が「靴みがき」や「自転車泥棒」に代表されるイタリア・ネオ・リアリスモの旗手であったことを思い出したい。とりとめのない日常のワン・シーンが静かに叙述され、変哲ない平凡な市民生活が送られている。その自然ななりゆきにつられ、つい映画に見入っていたら(なんだ、これは!)あるいは(ここは一体どこだ!)という煉獄の前に観客は引きずり出される。深い、深い悲劇がそこにある。本作はデ・シーカのリアリズムの半端ない力が、端的に出ている映画です。彼のリアリズムはシリアスな映画だけでなく「昨日・今日・明日」のようなコメディにも存分に出力されている点が、同じネオ・リアリスモ出身のルキノ・ヴィスコンティの、重厚かついかめしい作り方とのちがい。意味も理由もなく一方的に断ち切られた人生が、まるで淡い青春映画のような外観に装われています▼本作は「暗殺の森」とともにドミニク・サンダの1970年代を代表しますが、デ・シーカは「サンダはベルトリッチの映画ではあまりよくない」と点が辛く、その分自作に自信満々です。彼はドミニク・サンダをヒロイン、ミコルに選んだ理由として「彼女は自らの兄に近親相姦的な愛情を隠しもつ、気難しく曖昧な人間だからです。イタリア女優のなかにはミコルの顔を備えている人を見つけ出せなかった。しかし硬質で冷たい顔のドミニク・サンダこそ素晴らしかった」アタリですね。デ・シーカは曖昧と言っていますが、性格が難しく複雑な女をやらせたらドミニクってのびのびしますからね、例えばルー・ザロメとか。ミコルは兄アルベルト(ヘルムート・ベルガー)を愛している。しかし兄の愛の対象は男友達のマルナーテだ。ミコルは幼なじみのジョルジュの自分への激しい恋心を知りながらも、彼に対しては友情の域を出ない。ジョルジュが覆いかぶさってきても「ヘンなことしないで。起きてちょうだい。息ができないわ」と突き放し「あそこへ(娼館)へ行ってみたら」とすすめ、ドアを叩く音に「ヨールよ。開けてやって」ヨールとは馬みたいに大きなダルメシアンである。ベッドに飛び乗るのが許されるのはジョルジュではなくヨールなのだ。ミコルはヨールをなだめながらジョルジュに「もう帰って。わたしを放っておいて。二度とこないで。わたしたちにはそれがいちばんよ。さよなら」とりつく島もない。ミコルがジョルジュではなくマルナーテと寝るのは、兄からマルナーテを奪えば兄は自分にもどってくると思うからだ。しかし兄は病弱のため結核で死ぬ▼本作の時代は1938~1943年のイタリア、フェラーラだ。ルネサンスの中心地、ボルジア家の領地である。ミコルが庭を歩きながら「これはルクレティアが植えた木かもしれないわ」と言うくだりがある。物語の中心に38年9月から10月にかけ施行された反ユダヤ主義的措置(人種法)がある。この法律によってユダヤ人はアーリア人種(ナチズムのいう非ユダヤ系白人)との結婚が禁止され、公立中学校への入学、兵役、アーリア人種の使用人雇用も禁止された。市民権剥奪、民間企業への就職、パーティへの出席、50ヘクタール以上の土地所有も禁止された。劇中ジョルジュは図書館への入館を拒否される。ミコルの父はジョルジュのためにコンティーニ家の書斎を開放してやる。「ここで勉強したまえ。図書館よりたくさんの蔵書がある」。ミコルの家は(俗物根性丸出しといわれようと、これを書かずにおれようか)超セレブなのである。豪邸なんてものではない。家の入り口でベルを鳴らすと執事の部屋の電話が鳴る。執事が迎えに出て来客を確認し招じ入れる。客人は入り口から主屋の玄関までサイクリングできる。森の中を道が通り、湖がありボートが浮かび、テニスコートがあり、山小屋があり狩猟ができて、屋敷のはずれは高い塀で俗世間と隔たっている。ミコルの父は大学教授だ。父は文化財であるフィルモンティ家の庭園を市民に開放していた▼コンティーニ家に警察が来た。家屋敷すべてを置いたまま家族全員を連行するのである。ここから先のデ・シーカの銃声ひとつ聞こえない告発にわたしたちは沈黙する。連行が何を意味するかわかっている。父教授、母、祖母、最後にミコル。長い広い階段を降りてくる彼らの毅然とした物腰。ユダヤ人社会の最高知識人としての威厳とエレガンス。並んで見送る執事、使用人たち。みすぼらしい車に乗せられ着いたところは小学校だ。集団で一室に押し込まれ名をよばれるのを待つ。父と母、ミコルと祖母と二組に分けられそれぞれ別室に入る。強制連行されたユダヤ人たちで教室には座る場所もない。高齢の祖母をみた青年がミコルに合図して席を譲ってくれた。だれも言葉を発しない。水に沈んだような静けさ。なぜ。だれが。なんのためにこんな目にあわなければならない。ふくれあがってくる怒りと告発の重さを、この映画は繰り返しつきつけてくる。

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