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2014年8月16日

元大日本帝国海軍兵士が語る太平洋戦争秘話 ジョン・F・ケネディ氏と駆逐艦・天霧を結ぶ運命の絆~後編~

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元大日本帝国海軍電気部員 赤井由良男さん(90歳)

舷々相摩す南海の激闘

 昭和18(1943)年8月2日未明、南太平洋のソロモン群島付近の海上を航行していた一等駆逐艦・天霧(あまぎり)に、突然、大きな衝撃が走ります。米海軍の魚雷艇・PT109への激突。PT109は真っ二つに引き裂かれ、13名の乗組員のうち2名が戦死したこの船の指揮をとっていたのが、当時、中尉だったジョン・F・ケネディ氏でした。
 その後、PT109の生存者はケネディ氏のリーダーシップのもと、全員が奇跡的に生還を果たします。この激突事故および生還劇は後年、アメリカのベストセラー作家、ロバート・ドノバン氏によって書籍として発行されたほか、映画『魚雷艇PT109号』にもなり、日本でも公開されました。
 昭和38(1963)年8月には、先のPT109号の生き残り乗務員11名中7名が来日して日比谷公会堂(東京都千代田区)で映画の試写会と併せ「20周年記念日米交歓歓迎会」が催されました。事故の起きる半年前に下船していた赤井由良男さんも元天霧乗組員の一人として出席し、来日したPT109号の乗務員は、この時来日できなかったケネディ氏に今回の件を伝え、「今度は日本の皆さんをアメリカに招待したい」と話していたそうです。

再び脚光を浴びる天霧元乗組員とケネディ氏との奇縁

 歓迎会を遡ること12年前。昭和26(1951)年11月、下院議員として来日したケネディ氏は、国際政治学者の細野軍治・青山学院大学教授(当時)にあることを申し出ます。「激突事故当時の船の艦長に会いたい」。細野教授が調べた結果、激突した船は駆逐艦天霧で、当時の艦長が花見弘平・福島県塩川町々長(同)だったことが判明しました。
 その後、昭和35(1960)年に民主党から大統領選に出馬したケネディ氏に対し、花見氏は激励の手紙を代理人である天霧の元主計長に託します。この手紙が英訳されて現地の新聞に載り、「昨日の敵は今日の友」「海を越えた友情」と大きな反響を呼び、同年11月8日の大統領選挙勝利の要因の一つになったといわれています。
 次にケネディ氏が2期目の再選を目指した際には、天霧の元乗組員で構成する「天霧会」から「応援・激励の日の丸の寄せ書きを贈ろう」との声が上がります。復員後、故郷で警察官になっていた赤井さんも、この呼びかけに応じて筆を執りましたが、昭和38(1963)年11月22日、信じられない一報が飛び込んできます。
 遊説先のダラスでケネディ氏が凶弾に倒れた。「結局、寄せ書きを届けることはできなかった」。暗殺から半世紀以上を経た今も、赤井さんはそう言って声を落とします。
 平成26(2014)年春、赤井さんのもとに一通の手紙が舞い込みます。差出人は、太平洋戦争の関係者で構成される民間団体。書面には、平成25(2013)年11月、駐日大使に就任したケネディ氏の娘・キャロライン氏と、天霧の元乗組員との会談が計画中であると記されていました。
 ときを超え、再び光が射し込もうとしている、ケネディ氏と天霧との絆。今冬の実現に向け関係者が協議を重ねるなか、「海を越えた友情」がもう一度花開くことを、赤井さんは心待ちにしています。

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