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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年10月8日

特集 LGBT-映画にみるゲイ91
キャバレー(1971年 ミュージカル映画)

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監督 ボブ・フォッシー
出演 ライザ・ミネリ/マイケル・ヨーク/フリッツ・ヴェッパー/ヘルムート・グリーム

哀切の「キャバレー」 

 ライザ・ミネリの代表作にしてアカデミー賞8部門に輝く傑作ですが、ここで取り上げるゲイはヒロイン、サリー(ライザ・ミネリ)の恋人ブライアン(マイケル・ヨーク)と、ドイツ人の貴族マクシミリアン(ヘルムート・グリーム)の関係です。ブライアンが男にひかれることをサリーは無邪気に「女は嫌いなの? あら図星?」とびっくりするが、そんなこと気にすることじゃないとすぐ態勢を立て直す。1930年のベルリンといえばナチが台頭しつつある大戦の開戦前夜。ユダヤ人への迫害が日増しに過激になっていく。不穏な社会環境でもサリーは女優になることを夢見ている。サリーの爪は緑色のマニキュアだ。会う人ごとに「退廃の色よ」という癖がある。彼女はベルリンに着て4カ月。下宿には一文なしの芸人らが同じ屋根の下にいる。そこの下宿屋に目下部屋探し中のブライアンがやってくる。ケンブリッジ大学の博士課程にいる。お固いブライアンと女優を夢見るサリーはすっかり打ち解け「あたしの平らなお腹、こぶりのヒップ、いいでしょ」などといいながら、ざっくばらんなサリーは、ブライアンのために翻訳や通訳の仕事をみつけてきてやる▼英語を習いたいというフリッツ(フリッツ・ヴェッパー)がブライアンの生徒になった。このフリッツがふとしたはずみに一目惚れしたのが、同じく英会話を習いにきたナタリア(マリサ・ベレンソン)だ。ベルリンのデパート王の令嬢である。「ナタリアが来る。君は席を外してくれ」とブライアンがサリーに言う。「どうして」「彼女は深窓の令嬢なんだ」「アバズレで悪かったわね」。サリーは頑固に席を動かずレッスンの仲間に入る。下宿屋のおばさんはデパート王のお嬢さんの来訪に感激しケーキなど焼いて運んでくる。「どうぞ」とすすめても「間食はいただきませんの」とナタリー。横から金欠でいつも腹ペコのサリーが手をのばし「わたしいただくわ。先日梅毒の映画を見たの。気持ち悪くて一週間禁欲したわ」彼女が持ち出す場違いな話題に男たちはうろたえる…天衣無縫のライザ・ミネリの演技が最高だった▼さてここからこの映画のサイドストーリーとしてのゲイの話になります。ナタリアの家はユダヤ人だった。第二次世界大戦のナチズムがもたらした悲劇はユダヤ人の虐殺だけではなかった。もうひとつ「ピンク・トライアングル」がある。ピンクの三角形を描いた囚人服を着せられ、ひとめで同性愛者とわかる扱いを受け、強制収容所で虐殺されたゲイたちの実態はなかなかわからなかった。生き残ったゲイたちが少なかったこと、あるいは命ながらえても、ゲイたちが沈黙したことにより、ピンク・トライアングルの強制連行と収容所の内実は伝えられにくかった。ハインツ・ヘーガーの「ピンク・トライアングルの男たち=ナチ強制収容所を生き残ったゲイの記録」(発行パンドラ/伊藤明子訳)を読むと背筋が寒くなる。「おそらく数十万人の同性愛者がナチ政権下の1945年までに強制収容所に送られ、ピンク・トライアングルの印をつけねばならなかった。彼らは拷問、虐待に身を晒し、死によってようやく解放される運命をたどった。正確な記録が残されていないから確実なことはわからない。しかし当時のドイツにいた約200万人の同性愛者のうち、20~30万人がピンク・トライアングルの印をつけ強制収容所にいたことはほぼ確実である」「ピンク・トライアングルの男たちが受けた苦難については、現在までほとんど知られていないが、これは奇妙なことである。彼らもユダヤ人同様ナチ政権の残虐な暴力に身を苛まれ、忍苦しなければならなかったのだ。そして強制収容所に送られたその時点で、すでにくたばる運命に定められていたのである」▼「キャバレー」の時代背景はなぜ1931年だったのだろう。いつの時代でもよかったはずなのに。ブライアンは「女とは関係しない」と広言していたものの、サリーと親しさが増すにつれ、あるときを境に男と女の仲になる。サリーは妊娠し、ブライアンは大学に戻って研修生として職を得、いっしょに暮らそうというが、サリーは中絶してしまう。「わたしは自己中心的で無神経で、いつか女優になるという子供じみた夢を捨てきれない。ケンブリッジのマイホームでおむつが山積みになっている部屋で暮らすうち、お互いを憎むようになるわ。わたしは近くのパブで醜態をさらして」。ブライアンが同意してイギリスに去ったところをみると、彼もサリーという女と共に暮らす将来に一抹の不安があったのだろう。ラストはステージで歌うサリーだ「エルシーという娼婦がいた/彼女が死んだとき人はあざ笑った/酒と薬で身を持ち崩した娼婦と/棺に横たわった彼女はまるで女王のようで/あんな幸せそうな死人をみたことがない/彼女の口癖だった/独りぼっちで部屋に閉じこもっていないで音楽を聴きにおいで/人生はキャバレー/キャバレーに行こうよ/そしてわたしは心に決めた/死ぬときはエルシーのように逝きたいと/ゆりかごから墓場までたいした月日じゃないわ/人生はキャバレー/しょせんはキャバレー/そんなキャバレーがわたしは大好き」大人になりかけている虎の子のようなライザのパワーがスクリーンを圧したシーンだ▼でもこの映画の最高のシーンに歌われるこの歌には、どこか深い人生の陰がある。死ととなりあわせに生きるやりきれなかった時代と、その時代の偏見と差別に被虐したゲイ。どっちもにある悲しみが「キャバレー」という映画の、哀切の基調低音を奏でている。

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