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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2014年10月12日

特集 LGBT-映画にみるゲイ95
プリック・アップ(1987年 ゲイ映画)

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監督 スティーヴン・フリアーズ
出演 ゲイリー・オールドマン/アルフレッド・モリーナ/ヴァネッサ・レッドグレーヴ

消滅のエロチシズム 

 スティーヴン・フリアーズ監督が「 マイ・ビューティフル・ランドレット 」(1985)に続いて撮ったゲイ映画です。「マイ・ビューティフル」ではパキスタンからの移民の青年オマルと彼の旧友ジョニーがボロのコインランドリーを共同で経営する。本作ではロンドンの演劇学校に通うジョー(ゲイリー・オールドマン)が、親の遺産を受け継いだ裕福な文学青年ケネス(アルフレッド・モリーナ)と出会い、いっしょに暮らし始めた。ケネスは貧しい家で育ち、ろくに学校にも行かなかったジョーに、経済的支援と演劇と文学の基礎知識と性の実技を教え、ジョーはいっこうに芽が出ず、ケネスは書くことを諦めていたが、ふたりは仲良く10年を暮らす。ペギー(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)という敏腕のエージェントと知り合い、ジョーの書いた脚本がヒットし、つぎつぎに舞台化された。彼は一躍時の人となり性的に放埒になる。二作に共通するのは青年ふたりの力関係が崩れていくことです。前作ではジョニーに扮したダニエル・デイ=ルイスが最初オマルを助ける立場だったのに、だんだんオマルが支配的になる。同作のラストでは店を出て行くジョニーをひきとめるのに、オマルはピチャピチャとふざけて、洗面器の水をかけるだけでなだめてしまう▼「プリック・アップ」ではもっと露骨です。両親の遺産をジョーにつぎ込み、ジョーを一人前にするまで面倒をみたのは自分だという意識がケネスにはある。成功は自分の才能によるものであるとジョーは信じているし(それはそうだろうが)ジョーの私設秘書のような立場に甘んじ、ジョーの下着を洗うケネスにすれば憤懣やるかたない。折しも1960年代、同性愛者であることがわかれば監獄行きだった「ゲイ暗黒時代」だ。ケネスの閉塞感とコンプレックスは日々強まり、ふたりの力関係はあきらかにサドとマゾの構図になります。もちろんゲイという関係もそうですが、フリアーズ監督はゲイという性的アウトサイダーを描くときの引き込み線としてサド・マゾの関係を好んで取り入れるように思えます▼ジョーは絶頂期、ビートルズの脚本を書くことになります。パートナーのケネルに対しても、自分では大事にしているつもりのジョーの身勝手と自信満々を、ゲイリー・オールドマンが大げさにならず、巧みに演じています。しかしこの映画ではなんといっても、複雑で繊細なゲイのキャラを、受けにまわって表現したアルフレッド・モリーナが光っています。彼の青光りするスキンヘッドと、睨み殺されそうな鋭い目つきも迫力がありました▼ふたりの関係が崩壊していくプロセスは、「マイ・ビューティフル」とは比べ物にならない残酷な描き方です。毎日がケンカばかり。殺伐としたケネルとは打って変わって上機嫌のジョー。ケネルのモノローグにももはや愛情のひびきはありません。「彼(ジョー)は不潔な場所ほど楽しめた。最初のセックスの経験は14歳のとき、映画館のトイレだった」。脚本執筆のためのデータや情報提供したケネルが「ぼくの名前も入れてくれ。ぼくも協力したはずだ」と頼んでもジョーは冷たく「君はなにもしていないじゃないか」と取り合わない。ケネルは哀れにも「君の精液のついたパンツを洗っているじゃないか」。このごろ仲良くしたこともないとケネルがなげくと「マスかきな」である。「いまに破滅させてやる」ケネルがすごむ。「才能もないくせに」とジョーは一蹴。「お前なんか過去の汚れた体験を書いて、時流にのっただけじゃないか」監督は傷つけ合うふたりをどんどんエスカレートさせていきます▼ケネルをみていると、マゾヒスティックな立場にたつことによって、それまで時代や文化が要請した、〈強くなければならない男らしさ〉が崩壊していく過程を、監督は描きたかったのではないかと思えるくらい、この映画のマゾ的空間は消滅のエロチシズムを発散させています。幸運の女神が微笑んだジョーとは対照的に、退廃に沈み込んでいく精神のダークサイドをケネルは体現し、暗い共感をよぶ存在感でアピールしています。

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