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映画監督特集

2014年11月29日

特集「タランティーノが惚れた女」 コフィー (1973年 アクション映画)

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監督 ジャック・ヒル
出演 パム・グリア

男を味方にした女 

 クエンティン・タランティーノの「 ジャッキー・ブラウン 」には至るところオマージュが捧げられていますが、なかでも主演女優のパム・グリアと、本作の監督ジャック・ヒルへの尊敬にはただならぬものがありました。大衆映画の王道をいく映画作りに捧げる敬意といいかえてもいい。ジャック・ヒルはUCLAで映画を学んだのち監督第一作の怪奇映画で大コケ、しばらくお呼びがかからなかった彼にチャンスが巡ってきたのが、ロジャー・コーマンのもとで撮る映画でした。コーマンとはもちろんかの「B級映画の帝王」です。1971年「残酷女刑務所」で女囚たちの反乱と脱獄を描き大ヒット、パムは出演していますがまだ助演級でした。パムの逸材ぶりに目をつけたコーマンは、つぎに「残虐全裸女収容所」を再びジャック・ヒル、パム・グリアのコンビで製作する。パムは主役級に昇格。その後ついに主役として独り立ちしたのが本作「コフィー」です▼この映画は「 エイリアン 」や「 ターミネーター 」に先んじた「強い女」の先駆となる映画です。にもかかわらず正当な評価を与えられなかったのは、1970年代の社会が女性の復権に成熟していなかったことと、パム・グリアも当時まだ映画史に登場していなかった稀なる存在、女性アクションスターとしてより、ブラックスプロイテーションのスターという位置づけが目眩ましになって、本作は埋もれたままでした。パムも本作の直後に「フォクシー・ブラウン」を撮ってから亜流の映画が作られすぎ、せっかくの個性がすり減っていきます。そのパムを蘇らせたのがクエンティン・タランティーノでした。「コフィー」から24年。好きでたまらず、憧れていたパム・グリアを自分が監督になって撮る。映画少年だったタランティーノの純情と興奮がそのまま伝わってくる映画です。ちょっとおおげさになりますが、「コフィー」は女を社会に対して反逆させ、しかもそれを男が認めた最初の映画ではないかと思っています。それまで強い女もワルの女も反社会的な女を主人公にした映画は作られてきましたが「こいつはワルだがいい女だ、いいや、おれたちこんな悪くて強い女が好きなのだ」と大声で味方する男はいなかった。いたかもしれないが稀だった。アバズレは、映画ではたいてい女が最後におとしまえとして監獄にいくか、裁かれるか、死ぬか、なんらかの罪滅ぼしをさせられるのが常でした。女嫌いの監督にかかると女優が演じる役とは添え物以外の何者でもありませんでした▼映画ビジネスとしてコーエンは絶妙な算盤を持っていましたから、10分に1回はエロでいく、裸でいく、あるいは銃でいく、暴力でいくと決めていたらしい。らしいというのはヒルが本作でも忠実にその調子を保っているからです。だからパムは何分かに1回はあっさり大きな胸を露出させるし、散弾銃で男の脳みそをぶっ飛ばすシーンなんか今でもド迫力です。男たちがこの映画で女の味方をすることにひとつも言い訳せず、ガンガン暴れさせていることに共鳴した世間の男や女が本作の魅力を認めたのです▼「コフィー」には当時とても受け入れられにくかったはずの、社会的なメッセージがいくつもあります。薬物の撲滅、ドラッグ組織絶滅という大胆な設定もそうですし、ヒロインのコフィーが看護師として優秀な女性であることも、仕事をする女が珍しかった、まして黒人女性の能力を認めるという位置づけも力があります。麻薬の乱用によって廃人同様になった妹のために、コフィーは復讐すると誓う。犯罪都市ロスの組織を相手に単独で挑む。男のパターンであった復讐を女がやる、それも力づくである。コフィーは義理人情に厚いが、警察官の友人が襲われ重傷を負い、恋人であった政治家がじつは組織に寝返ったとわかると容赦しない。色仕掛けであろうと暴力であろうと、騙しであろうとあらゆる仕掛けとテクニックを用いて復讐を遂げていく。この映画の公開時、女が待望される存在であるには早かったかもしれない。しかし5年後にリドリー・スコットがエレン・リプリーを登場させたとき、十全に受け入れられる素地を作っていたのは「コフィー」であり「フォクシー・ブラウン」であり、それを演じたパム・グリアだったといっても言い過ぎではない。

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