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2015年1月17日

1.17. 阪神・淡路大震災から20年 飼育員が語る「スマスイが震えた日」

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神戸市立須磨海浜水族園
阪神・淡路大震災

阪神・淡路大震災から20年 「スマスイが震えた日」

 家族連れやカップル・友人同士など、多くの人たちでにぎわう神戸市立須磨海浜水族園(神戸市須磨区、以下・スマスイ)。笑顔と歓声が絶えないスマスイを未曾有の激震が襲ったのは、平成7(1995)年1月17日午前5時46分、当時、わが国の地震災害としては戦後最大規模の被害をもたらした「阪神・淡路大震災」でした。
 「これまでの地震とはケタが違う」。兵庫県西宮市の自宅で、塚本博一・飼育課長(肩書きはいずれも当時)は下からの突き上げるような激しい揺れに目を覚ましました。
 震災直後には全職員に緊急招集が発せられ、家族の安全を確保した塚本さんは、スマスイへと向かいます。
 同じころ、車で神戸市西区の自宅を出発した日和田雅美・イルカ事業部副主幹は、高台から見た街の惨状に息を呑みます。「カーラジオが各地の状況を伝えていたのですが、実際に目の当たりにした光景は想像を超えていて…。尋常でないことが起こっていると実感しました」

「ただ手をこまねくだけ…」 眼前で繰り広げられる悲劇

 混乱を極める市街地を抜け、夕刻近くになってようやくスマスイにたどり着いた塚本さんを、さらに衝撃的な現実が待っていました。電気をはじめとするすべてのライフラインが止まっていたため、エアーレーションや給水・ろ過循環など、魚の生命を維持する装置が全く機能せず、魚たちが次々に死んでいく様子を「ただ手をこまねいて見ているしかなかった」(塚本さん)のです。
 幸い日和田さんが担当するイルカなど肺呼吸の生きものたちは、致命的な被害を受けなかったものの、イルカたちはプールの真ん中に集まって不安そうに回遊するなど、普段とは異なる行動がみられたそうです。
 震災後、再開に向け昼夜を問わず復旧活動に取り組む二人でしたが、20年を経てもなお、いまもある思いが胸から離れないと言います。「魚やイルカたちの命を守るために全力を尽くしたことに悔いはない。でも、あのとき、職務を離れてでも地域の人たちを助けるべきだったのではないか」「燃える街を見ながら、水族園に向かった行動は正しかったのか」 
 そうした葛藤が続いたからこそ、震災から3ヵ月後に迎えた再開の日を塚本さんと日和田さんは、「うれしさにいろいろな思いが重なり思わず涙した」と振り返ります。
 いまや当時のことを記憶しているスマスイの職員は、4人だけとなりました。震災を機に「防災やお客様の安全確保がより切実に・現実味を帯びて考えられるようになった」と二人が話すように、未曾有の災害によって改めて知った生命の大切さとかけがえのない教訓は、スマスイの生きものに向き合う姿勢やお客様への対応に受け継がれています。

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