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特集「フリーク/変態の詩人たち」

2015年2月3日

特集 フリーク/変態の詩人たち ザ・フライ (1986年 ホラー映画)

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監督 デヴィッド・クローネンバーグ
出演 ジェフ・ゴールドブラム/ジーナ・デイビス

越境者の悲しみ 

 この映画をつくったときクローネンバーグは43歳でした。細面で学究肌の灰色の目に、黒ふちの大きなメガネをかけ、柔らかそうな褐色の髪がひたいにかかっている。映画監督というより控えめな文学青年のようです。ヒロイン役のジーナ・デイビスは、クローネンバーグとはどんな変わり者かときかれ「とても感じのいい物静かな紳士よ」と答えています。ただしこの紳士は非常な物狂いでした(笑)。「 ラビッド 」で彼のことを、境界を越えていく人と書きましたが、このときちょうどレオノール・フィニのことを考えていて、越境する画家としてのフィニとクローネンバーグって、どこか似ているなあと思っていました。わたしだけの思い込みかもしれませんが、たとえばオープニングのタイトルバックにある、細長い不定形のたくさんの楕円がいくつも揺らめいている映像はフィニの「地質学的記憶」そっくりですし、劇中どんどん美しかった姿態が変形していく主人公の残酷さは、フィニの「世界の果て」を思わせたのです。そこに描かれた若い女は腐乱と死の沼に乳房までつかり、視線を宙に定めていました▼フィニは性差の境界をこえたアンドロイド的女性をたくさん描いていますが、同時に「遠い親戚」などでは動物と人間との奇妙なハイブリッドを創出しています。クローネンバーグが常に異常な関心を示す「越境する感性」を、絵にしたらこうなるのではないかと思ってフィニの画集を見ていたので、そのものずばりハエと人間の融合である本作は、彼が撮るべくして撮った映画だという気がします。彼の映画には不吉な、まがまがしい神の到来ともいうべき形象が続出します。本作でもハエ男の肉体は装飾的なまでの変形と腐乱に至り、その肉体から吐き出す白い液は、他の生物を溶解させる毒液です。かようなまでのグロテスクなテイストですが、クローネンバーグの几帳面なまでの精緻巧妙な映像のディテールは、不思議と醜さを感じさせないのです。ショッキングではありますが、思い切り人を驚かせてやろうという子どもじみた情熱の具現化とでもいうのか、ハエ男もその恋人も、わたしには愚かにも浅はかにも思えず、それどころかハエ男は彼の存在を許さない現実社会から、哀切なまでに退場するのです。この詩情こそがクローネンバーグの映画の力であり、彼の映画をただのショッキング・ホラーやダーク・ヴィジョンのカタログからきっちり峻別する感性だと思っています▼それにしても(笑)…わたし主役セスのジェフ・ゴールドブラムがのっけからアップで登場したとき(え? ハエ男がもうノンメイクで出てきた?)と思ったくらい個性的な顔です。彼は物質転送機「テレポッド」を開発する科学者。取材記者のベロニカ(ジーナ・デイビス)を研究室に招いたのはいいが彼女はいっこうに興味を示さない。手品か詐欺だと思っている。セスはストッキングを転送したり、転送したステーキとしていないステーキをベロニカに食べ比べさせたり。「転送されたステーキは人工肉の味よ。おいしくない」とベロニカ。「コンピューターの解決に限界がある。インプットされた資料を翻訳し再構成するのだが、わからん箇所があるらしい。つまりコンピューターに肉の魅力と肉への愛情を感じるようにしなけりゃいけない。そこを教えこんでいなかった。ステーキの詩情をね。これから教えるよ」とセスは食事も忘れコンピューターに向かう。余計なことに頭を使いたくないと、同じ服を5着も買って交代に着るような仕事人間のセスを、ベロニカは愛する▼転送機にハエが入っていたことにより、遺伝子レベルでセスとハエは融合した。セスは異常にパワフルな運動能力を発揮する。同時に甘いものを抑制なく摂取し、何時間も持続させてベロニカをくたくたにする。背中に短い針のような剛毛が生え、爪がはがれ、指先から白い液体が滲出し肌の色が変化する。ハエは歯がないから固いものは食べられない。大きいものは消化しきれないから溶解力の強い酵素液を出し、食べ物を溶かして吸い上げる。クローネンバーグは「デッド・ゾーン」は人間の葛藤のドラマ、「 スキャナーズ 」はアクションが主体、「 ビデオ・ドローム 」は実験的作品で本作が「集大成」と位置づけただけに、変貌の過程を克明に描いています。フェチっぽいが説得力があります。それと、ベロニカとセスの恋愛関係の進行に、クローネンバーグにしては甘い雰囲気をだしています。珍しくベッドシーンもあり「ぼくたち、これって恋愛関係?」とセスが笑いながらきいたりする。ベロニカが元カレとよりをもどしたと勘違いし、嫉妬で腹立ちまぎれに自分を転送したのが動機でした。クローネンバーグはセスが「20歳でノーベル賞候補になった天才遺伝子学者」であり、研究一途の性格を好もしく設定しています。セスは全知全能を使って人間にもどる「再構成」を試行しますが、肉体の崩壊のほうが早かった。最後の力をふりしぼって変わり果てた自分に銃口を充て、ベロニカに「撃て」と意思を示します。ベロニカはセスの子を宿していましたがその後は映画に叙事されません。融合した「越境者の悲しみ」だけで監督は映画を終わらせたかったのでしょう。

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