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特集「フリーク/変態の詩人たち」

2015年2月6日

特集 フリーク/変態の詩人たち 昇天峠 (1951年 コメディ映画)

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監督 ルイス・ブニュエル
出演 エステバン・マルケス、リリア・プラド

ブニュエルの暗示 

 ブニュエル51歳のときの映画ですね。なんでもありがこの人の本質だと思います。作品群もシュールありコメディあり、サスペンスあり。変わった役をやらされるのに大物女優が彼の映画にでたがったりしますしね。ジャンヌ・モローとかカトリーヌ・ドヌーブとか。かなえられない望み、いきつけない目的地がテーマとなる映画が、後年たくさんあるのですが、本作では(おお、ちゃんと峠を越えて主人公は目的を果たしたわ)と感動した。いけども行けども行き着かない目的地、邪魔ばかり入って食べられないごちそうは、人生そのものの象徴ではないかと深読みしたときもあるのですが、それも当っているかもしれませんが、彼の量産されたメキシコ時代の本作や「 皆殺しの天使 」なんか、これは見て楽しむだけで充分な映画ではないか、ブニュエル自身があらゆる矛盾を楽しんでいるのだからと思えてくる▼「昇天峠」はタイトルからしていかがわしく不吉です。何に昇天するのか。バスが墜落する名所なのか、それとも主人公にとって特別のエピソードがあったからか。よくわからないままボロバスは峠を超えるためのろのろ走りますが、バスに乗った客は全員、いつまでたっても目的がかなえられない。走りだしたとたんタイヤはパンクする、川の真ん中でバスは動かなくなる、牛にひかせて引っ張り上げようとしたが牛は強情に動かない、やっと岸にあがったら臨月の女性は産気づき車内でお産。狭い山道で対向車が来る、霧は深くなる、危篤である母親の望み(死んだ娘の子供、つまり孫に財産を譲りたい)をかなえるため、公証人役場に行って遺言状を作ろうとする主人公オリビエ(エステバン・マルケス)は、一刻も早く町につきたいのに、運転手は母親の守護神のお祝いに家によっていく、みんなもいっしょに祝ってくれといい全員承諾。オリビエはいっしょに乗りあった若い女性ラケルにさかんに誘惑され、イライラしてはねつけていたものの、彼女の豊満な肉体にふらふら、バスの中で妄想に陥りついには合体。オリビエにとってはトラブルの連続だ。彼の不幸続きにふりまわされるが、しかしそもそもこの映画はどんな輪郭とトーンなのか。「サン・ヘロニモ村の唯一の農産物はココヤシである。白い果肉からとれるココヤシ油は多方面に利用される。住まいは質素だが住民は裕福だ。一本のココヤシは乳牛一頭に値する。結婚式をあげた新郎新婦は、海の沖合にある小島で初夜をすごす」見事というほどどこにも謎のないオープニングだ。こんな天国のような村でなにが起こるというのか、たいした事件なんか起こるはずがないという前提のもとにブニュエルは映画を進めているのだ。シュールもヘチマもない、ブニュエルの絵空事・作り事に対する変態チックな愛が、この映画をねじり飴みたいな、現実よりもっと濃い現実で練り固めたのである▼後年登場するブルジョワジーたちとちがい、みな素朴きわまりないキャラであるものの、誘惑や堕落、エゴや寝返りは盛りだくさんだ。死にかけている母親に策を弄し、都合のいい遺言書を書かせようとする兄たち、彼らに抱き込まれる遺言立会人の警官、オリビエを誘惑して欲望を遂げたら「はい、サヨナラ」で町の有力者にのりかえる女。事件などありそうもない村の平凡な住人たち。これ以上ない平凡な素材を使って映画はかくも劇的になれる(笑)。エンドレスのブニュエル的悪夢は本作では林檎の皮となって現れる。死のベッドにいるはずのオリビエの母が、林檎を剥いている、いつ終わるかもしれぬ長い皮がつながる。夢あるいは妄想こそはブニュエルのライフワークであって、現実なんか存在しない、あるのは夢の現実だという希求が生涯にわたってブニュエルにはあった。林檎というのもブニュエルの好きな特別な物体で、「ビリディアナ」や「 哀しみのトリスターナ 」「 小間使の日記 」で扱っている。言うまでもないが林檎とはそれを食べたために楽園を追放された、欲望の象徴なのだ▼オリビエは母親の最期に間に合わずすべては徒労にきすと思えたが、公証人がさずけた一計で兄ふたりをだしぬき、首都にある家屋敷を母親の望み通り孫に相続させることに成功する。ココヤシの村はどこまでも平和で幸福に彩られているのに、ブニュエルがはめこんだ「望みを妨げるできごと」が、たえず平和と幸福のもろさを暗示するブラックな映画。

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