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特集「フリーク/変態の詩人たち」

2015年2月7日

特集 フリーク/変態の詩人たち ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最後の7日間 (1992年 サスペンス映画)

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監督 デヴィッド・リンチ
出演 シェリル・リー/カイル・マクラクマン

ネジのゆるさ 

 デヴィッド・リンチの映画をみていていつも不思議だったのは、例えば「ブルー・ベルベッド」にせよ「 マルホランド・ドライブ 」にせよ、退廃的でスキャンダラスな内容にもかかわらず、研ぎ澄まされたエロスというものを一向に感じなかったことです。ひとえに自分の読み取りが鈍感であるがゆえとして放置していたのですが、本作をみながら、そうか、デヴィッド・リンチが描きたいものはエロスでもサドでもマゾでも、ましてロマンでもラブストーリーでもなく彼のダークヴィジョン、いうなれば幻想美術館なのだと思うに至りました。「ツイン・ピークス」はテレビドラマによって沸騰した作品ですが、それを見ていないので、この劇場版だけで思ったことを書きます▼リンチの映画を何本か見ていると、彼の「作劇の罠」に引きずり込まれないための耐性が、好むと好まざるにかかわらず身についてしまったファンはかなりおられると思います。過去と現在が頻繁に交代する時間軸、もっとも重要なキーワードのひとつである夢、隔離された部屋のイメージ(本作では赤い部屋)、時間軸が入れ替わるときのスクリーンの色調の変化、こういういくつかの「リンチの癖」のようなものを知っておくと、あまりひきずりまわされずにすみます(笑)。本作を作った理由は、「ツイン・ピークス」が終わってしまいとても寂しかったので、まだ「ツイン・ピークス」の世界に浸っていたかったからだとリンチは正直に答えています。去ってしまった女を幻想で追いかけるようなもので、それでなくともイメージ最優先のリンチの発想からすれば、幻想美術館なんてなまやさしい、妄想美術館こそ彼の真髄であります(笑)▼もしこれが絵画なら「グロテスクの豊穣」とでも名づけて、黙って見ていればなにかわかってくるかもしれませんが、いかんせん、映画ですので移りゆくセリフとイメージをつなぎとめ、縫いあわしていかなくてはいけない。ところがリンチの場合、どうでもいい「めくらまし」のシーンを挿入してイジイジするくらい混乱を仕掛けてきます。どこの国にも観客のなかには気の短い方がおられます。カンヌの審査員の先生らみたいに、高度な批評とは無縁、自分のリテラシーのなさを棚にあげ「馬鹿かリンチ、お前の映画なんかもう二度と見てやらん」ケツをまくって自分だけ二度とみないならそれでいいものを、「あいつの映画サイテーやで」と人にまでいいまくるものですから、どんな孤高の作家でもどこかに解釈のヒントくらいははめこんでおくのが普通です。本作でいえばつぎのようなセリフです▼「ボブよ。彼が日記を破ったのよ」「彼は実在しないよ」「12のときからわたしを玩具にしているわ。わたしの魂まで狙っている」「で、ボブはなんと?」「わたしに入りたい。入れなければ殺すって…火よ、我とともに歩め」この「火よ、我とともに歩め」が原題です。聞いただけでまともな精神状態でないことがわかる。リンチの本領発揮ですが、実在するとかしないとかがいわゆる「めくらまし」。ポイントはこっち「12のときからわたしを玩具にしている」。主人公は高校生で17歳です。彼女の交際関係なんか知れている。彼女の性交渉が乱れていると、登場人物のひとりである霊感のあるFBIが言いますが、どう乱れているのかリンチはぼかしている、そらそうでしょう、ツイン・ピークスは保安官がよそ者を嫌うような田舎町ですよ。地元の高校に通うきれいな女子高生となれば、鵜の目鷹の目、彼女がいつなにをするか町中が観察している。彼女の乱れた性交渉がだれとであるか、普通ならとっくに町中のネタになる環境で、だれにも知られずにすむのはそれが特定の人物だからです▼ヒロインのローラ・パーマー(シェリル・リー)の一言、一言は彼女がいずれ殺される予感に満ちています。彼女は17歳でありながら精神的にはもう死んでいるのです。結論をいうと(世評に高い映画ですから、いまさらネタバレしても横紙破りにはならないと思います)、劇場版だけに限っていえば、ローラはその父親との近親相姦の犠牲です。アニーという少女がローラのベッドのそばにいきなり現れ(もちろん幻覚です)「善いほうのデイルが丸太小屋にいて出られない。そう日記に書いて」といって消える。このあたりはテレビをみていないとヒロインとの関連がわかりません。そんなこといっさい頓着なく「アニー」を出演させるリンチの傍若無人の心臓ぶり。ついでに言いますとアニーに扮するのはヘザー・グラハムです。ブロンドを黒髪にして顔中血まみれ、彼女独特のちょっとタレ目の大きな目さえ、どこにあるかわかりません、まさかこれがヘザーとは。親友のドナがローラの服に袖を通したとき「二度とわたしの服を着ちゃだめ。わたしみたいにならないで」と悲劇を予言するシーンがあります。17歳という年齢にしては重すぎる過去を背負ってしまったのでしょう。リンチの映画でいちばん完成度が高いのは「ブルーベルベット」だと思っています。愛どころか、自分さえ信じられなくなった女が、それでも生きていかねばならない、やりきれなさと寄る辺なさ、丸裸にされた孤独が「ブルーベルベット」にたちこめていました。それに比べ本作のローラは、17歳で同じ精神的な孤絶状況にあると思えるのに「あなたはわたしを知らない。わたしには秘密があるの。あなたのローラは消えたの」などの、謎めいたセリフで説明させるにとどまっている。女優のちがいはあるかもしれません。しかし雰囲気を作りだすための冗長なシーンが多すぎるせいか、映画のネジがユルイとしかいいようがないです。

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