女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「男前」

2015年2月16日

特集「男前2」 イザベラ・ロッセリーニ ブルーベルベット(1986年 サスペンス映画)

Pocket
LINEで送る

監督 デヴィッド・リンチ
出演 イザベラ・ロッセリーニ/デニス・ホッパー/ローラ・ダーン

別世界への入り口 

 「ブルーベルベット」の評価は、出るものは出尽くしたという映画ですので、ヒロイン、ドロシーのイザベラ・ロッセリーニに的を絞りました。デヴィッド・リンチは自作について身も蓋もない言い方で「これはご近所映画」だとインタビューに答えています。国がどこで戦争をしていようが誰が大統領になろうが、住民の関心はご近所のトラブルやうわさ話、だれそれを病院でみかけたとか入院したらしいとかが話題になる町。これは映画の背骨として案外大事なことです。つまりこの映画が映していくのは国家機密でもなく、ノーベル賞でもウォール街でもなく、普通の人が暮らすのどかな町で起こった事件。それを大学休学中の素人探偵が追っていく。リンチはそこに普通でもなければ平凡でもない、人の心をかき乱すシュールな世界を描き出します。入り口は野原に捨てられていた人間の耳。耳がどんどん拡大されとうとうスクリーンは溶暗になる、この手法は「 マルホランド・ドライブ 」でも、ヒロインが開けた黒い小箱のなかに現実が吸い込まれていく、というシーンで使われています▼田舎町のうらぶれたクラブで歌う歌手がドロシーです。いうまでもないですが彼女が歌う「ブルーベルベット」は映画史に残る歌唱シーンでした。歌い出しは「彼女のドレスはブルーベルベット/それより青い夜のしじま/彼女のドレスはブルーベルベット/それより青い彼女の瞳」…あんまり有名すぎるので省きます。デニス・ホッパーが性倒錯・サド・薬物依存・麻薬取引、誘拐・脅迫・殺人、考えつくかぎりの悪事を働く男フランクを演じて、真から怖気をふるういやらしさが素晴らしかったが、なんといっても本作を真二つの賛否両論に別れさせた、その役を演じた女優がイザベラでした。彼女はフランクに夫と息子を監禁されている。前後の理由をリンチはばっさり削り落とします。フランクはドロシーに殴る、絞める、傷つける、罵声を浴びせる、及ぶ限りのサド行為を迫ります。ドロシーもフランクに向かい「ぶって、ぶって」とせがむ。ドロシーは自分の性愛にもマゾ的傾向があることがわかっている。それを表に出すのが怖いから、自分を隠そう、隠そうとして家に帰ってからも重いウィッグをつけたままメークは濃く、狂気からの逃走願望がありありです▼イザベラは母親(イングリッド・バーグマン)譲りの張りのある瞳と、彫刻的な目鼻立ち、人形っぽく痩せた姿態で苛まれる女を演じます。低い声、少ないセリフ、言葉数少なく、そのぶん凝視する性欲に濡れた視線。血のにじむ唇をぬぐいもせずカイル(好奇心から事件に首を突っ込み、ドロシーの部屋まで詮索にきた大学生)を裸にし、にじりよっていく妖気はデニス・ホッパーのイカレぶりに対抗する素晴らしさです。物議をかもしたシーンは、夫を殺され息子は監禁されたまま、性の玩具にされたドロシーが、ボロボロの心神喪失状態で、ドアを開け街路に出てくる場面。黒々としたヘアもそのまま、一糸まとわぬフル・ヌードを正面から撮っています。女性に対する残虐行為であり、あまりにも行き過ぎであると批判されたが、イザベラは「デヴィッドはとても信心深く精神世界を重んじる人。この映画は分析する映画ではなく、もっとシュールで抽象的」と冷静だった▼そもそもこの映画は、一言でいえば人間の精神世界とは現実とはちがう「別世界」なのだというリンチの主張が、初めてセックスを介して描かれた映画です。それまでのリンチの作品は「 エレファント・マン 」にせよ「デューン/砂の惑星」にせよ、性の陶酔とは無縁の映画でした。性的不安がパワフルになればなるほど、人間を歪め破壊させる力を持つ。人間の精神世界は平和な片田舎の町のような外観を装っていても、中は不安と暗闇に満たされた異界だ、それを代表するのがドロシーやフランクで、彼らを通じていったん異形の人間を知ってしまったら、日常は深淵を隠していることに気付かされる。なにも変わりない世間が、いつひっくり返るかわからないのだ。映画のオープニングとエンディングにある同じシーンは現実と現実が隠し持っていた精神世界の対比を極彩色で表します。青い空、シミ一点もない真っ白い垣根、赤いバラ、黄色い花。天国のようなこの場所ででも見てしまった倒錯と奈落の世界。イザベラ・ロッセリーニが妻であり母であり、同時に性の異端者である女を、哀切をこめて演じています。彼女とデニス・ホッパーがあまりにも強烈だったため、他の出演者は気の毒なくらいでした▼そうそう、本作がブレイクしたのはポーリン・ケイルが傑作だと激賞したからです。彼女は「ニューヨーカー」誌で映画評を担当し、激辛の批評で映画関係者から悪魔のように恐れられた。公開のたび自作を吊るしあげられたクリント・イーストウッドは、訴えてやると怒りまくったことがあります。その彼女がベタ褒めしたものだから、見向きもしなかった映画関係者の潮流が変わりました。違う視点で見直す人がふえ「そうだ、そうだ、新しい映画」だとなったわけ。ケイルの批評集は何冊か出版されています。肉を切らせて骨を切る、とはこういう捉え方だと思います。以って瞑すべし。

Pocket
LINEで送る